香料諸島の旅
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ナツメグの次は丁子 VOC、全盛期迎える
バンダの人々は、オランダ東インド会社(VOC)の総督、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンによって完全にその勢力を削がれた。生き残ったオラン・カヤ(有力者)たちは、.....
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抵抗するバンダ人 容赦ないオランダ
バンダ諸島のロンタール島を征服したオランダ東インド会社(VOC)の総督、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンに対し、島の数人の主なオラン・カヤ(有力者)が船上のクー.....
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総督クーンが支配 オランダがバンダ征服へ
バンダの運命は、「力だけが正義で、バンダ人、イギリス人そしてバタビア人を滅ぼす力と権限を持っているのは自分だけだ」と信じている自信に満ちたオランダ東インド会社.....
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オランダの包囲網に抵抗 イギリス人船長の戦い
ただ不幸なことに、イギリス人の船長コートホープが死守しようとしたルン島とナイラカ島には、モンスーンの雨水から取る以外の淡水がなく、魚以外には食料もなかったので.....
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オランダの手、逃れたルン島 イギリスが死守
イギリス人の船長コートホープが、不屈の精神でルン島を死守しオランダと対抗してきたエピソードは大変興味深く、当時の英・蘭間のナツメグの島の争奪戦をほうふつとさせ.....
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アイ島を征服 オランダ軍が支配
バンダ諸島に次にやって来たオランダ東インド会社(VOC)の総督は、前任者がVOCの重役会である「17人会」から受けていたのと同様の指令を受け、バンダ人に全ての.....
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続く英・蘭の勢力争い バンダ人はイギリス側へ
バンダ人はオランダとの新しい条約が締結された日からあらゆる機会を捉えて、条約内容に違反するような行為にでた。ネイラ島とロンタール島がオランダに取られたことに反.....
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わなにはまったオランダ人 バンダ人の策略
オランダ東インド会社(VOC)の提督ピーテルスゾーン・フェルハーフェンは、これまでよりシステマティックなスパイスの倉庫と、敵からの防衛体制を強化するための要塞.....
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招かれざるよそ者 オランダへの抵抗
オランダ人がやってきたとき、バンダ諸島の人々は約50万本の木を家単位や村単位で管理していた。下生えや枯れ枝の除去、南洋アーモンドと呼ばれるカナリを植えて強い太.....
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オランダの圧力 バンダ諸島で独占契約
オランダの提督ヘルマンゾーンはイギリス人を脅かしたり、時には無視しながらナツメグ・メースの独占購入権を得るべくバンダ人に圧力をかけていた。オランダによる独占契.....
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アジア依存型からの脱却 英蘭の東インド会社
イギリス東インド会社(EIC)やオランダ東インド会社(VOC)にいう「東インド」とは、コロンブスが1492年に発見した西インドと区別した当時の地域名称で、現在.....
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英、バンダに拠点 地元も歓迎
イギリスのフランシス・ドレイク卿の船団は、テルナテで大量の丁子を持ち帰り英雄として迎えられた。彼は香料だけではなく金・銀・真珠などもたっぷり持ち帰ったが、その.....
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最強の「株式会社」登場 オランダが次々商館建設
オランダ人はバンダ諸島ロンタール島に本国から持ち込んだ商品を貯蔵し、ナツメグ・メースおよびアンボンから運ばれた丁子と交換することにした。品質、価格が千差万別で.....
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香料取引に参入 オランダ人の到来
ポルトガル人がバンダ諸島のネイラ島で砦(とりで)の建設を取り止めたのは、土地の有力者がポルトガルが広めようとしたキリスト教に関心を示さなかったので、ポルトガル.....
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マラッカからバンダへ ポルトガル人の到来
長年にわたりマレー、ジャワ、中国、アラブの商人たちがマルク諸島の香料をスポット買いし、それをペルシャ湾まで海上輸送、そこからキャラバン隊で地中海まで運び、コン.....
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バンダ人「生存」の要 ナツメグで衣食を入手
ヨーロッパ人がやってくる前、中国人、マレー人、ジャワ人がマラッカに来ていた。中国のある歴史書によると、14世紀にはマルク諸島は既に知られていたが、丁子の生産高.....
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料理だけでなく医療にも ナツメグ・メースと丁子
香料としてのナツメグは、種子を2カ月ほど日干しして作られ、粉状にするか、圧縮して油を取る。メースも同様に日干しされる。古くからナツメグ・メースは、料理の味付け.....
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住民共有の財産 地域限定の香料
丁子の島であったテルナテ、ティドレが強力なスルタン王国であったのと異なり、バンダには強力な権力を持った王はおらず、オラン・カヤ(裕福な人という意味)と呼ばれる.....
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涼しい空気に包まれ ボロブドゥールとお別れ
最初にここを訪れたのは1978年であった。その時はボロブドゥール寺院に続く道沿いに古い民家が並び、軒先の合間からこつぜんとこの巨大な遺跡が現れたのが印象的で、.....
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現代でも至難の技 200万個の石で造営
ここでボロブドゥール寺院について簡単にまとめておきたい。 ボロブドゥール寺院は、ジョクジャカルタの北西42キロ位置する世界最大級の仏教遺跡である。近くのヒ.....
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朝霧漂う幽玄の世界 未解明の建造物も
ボロブドゥール寺院の頂上でご来光を待つ。太陽の昇る東の方向を見る。ボロブドゥールから東25キロの距離にあるムラピ山(標高2930メートル)の右裾野に太陽が昇っ.....
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進む寺院の再建 未解明の建造物も
ここ中部ジャワは地震や火山の噴火などの天災の多い地域である。最近では、プランバナン寺院は2006年のジョクジャカルタ地震の際に、石造彫刻物の一部破損やがれきの.....
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悲願の独立果たす 350年のオランダ支配から
1815年、フランスのナポレオンがワーテルローの戦いで完敗し、セントヘレナ島に幽閉され、ナポレオン戦争が終結すると、イギリスは東インド植民地をオランダに返還す.....
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世界遺産を訪ねて プランバナンへ 番外編①
北マルク州のテルナテを午前8時15分にたち、ジャカルタ経由の便でジョクジャカルタにほぼ定刻の午後1時半過ぎに到着した。今回の旅は、香料諸島をメーンとしたが、久.....
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忘れられる存在に 植民地政府が誕生
テルナテとティドレのスルタンとその臣下たちの生計はオランダ東インド会社(VOC)からの俸給に頼っていたので、住民たちはスルタンをVOCのとらわれのように見てい.....
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またいつの日か
午前8時15分発のフライトでジャカルタ経由ジョクジャカルタに向かうため、テルナテのホテルを午前6時過ぎに出ると、ちょうど日の出直後の朝焼けの写真が撮れた。昨日.....
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移植された丁子、ナツメグオランダ独り占め終わる
オランダの独占権のおよばない所では、少量ではあるが取引が続いていた。テルナテ、ティドレや、そこから移植されたハルマヘラ、セラムなどの丁子は、マカッサルやマニラ.....
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心に残る夕焼け ティドレからテルナテへ
ティドレ島のフェリー乗り場で遅れたフェリーを待っていたとき広がった夕焼けほど心に残るものはない。 前面に穏やかな波の漂う黄金の海、かなたには淡い青空の中に.....
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英を排除、丁子根絶も 支配権強めるオランダ
■アンボン事件 マルク諸島でのイギリスの衰退は、1623年のアンボン事件により致命的となった。オランダの司令官が、イギリス人17人と日本人傭兵9人(平戸出身.....
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マゼランの記念碑 ティドレのフェリー乗り場 (24)
ティドレ島のフェリーの発着場所ルンのすぐ側に、スペイン砦(とりで)があるというので行ってみた。そこに砦らしきものは見当たらなかったが、思いもかけずこの場所に、.....