住民共有の財産 地域限定の香料

 丁子の島であったテルナテ、ティドレが強力なスルタン王国であったのと異なり、バンダには強力な権力を持った王はおらず、オラン・カヤ(裕福な人という意味)と呼ばれる地域ごとの指導者・長老が居たのみであった。バンダ諸島に初めて到来したヨーロッパ人はポルトガル人であったが、同国出身の植民地歴史家であるジョアン・デ・バロス(1496~1570年)が、「アジア史」の中でバンダについて次のように書き残している。
 「島の人々は黄褐色の皮膚を持ち、身体は強健、長い髪をはやしている。イスラム教徒で商売熱心、女性は畑での仕事が多い。王も領主も居ない。日常の決め事は村落ごとの年長者の指示に従うが、年長者同士の争いが多い。ナツメグが唯一の輸出商品である。この木は誰が植えるというものでもなく、普段の手入れも必要ではないが、非常に豊かに繁っている。ナツメグの木は誰にも所有権はなく、住民共有の財産である。6~9月が収穫期で最も多く採り入れた者が、最も多くの利益を得る」
 ヨーロッパ人が来るまでの島のおおらかな様子が想像できる。バンダ人による信頼に足る記録が残っていないのが残念だ。

■ナツメグとメース
 大航海時代にヨーロッパ人が同量の金の価格と同等の値を付けたのが丁子であり、さらにそれを上回ったのがナツメグ・メースである。なぜそれほど高価であったのか? 単に食品の味付けだけではなく、薬品としての需要も高かったのである。
 ナツメグ(学名Myristica Fragrans)は、日本語で「にくずく」、英語で「Nutmeg」、インドネシア語では「Pala」である。元々、バンダ諸島にしか自生していなかったが、17世紀中頃までには丁子と同様にマルク諸島の他の島でも栽培されるようになっていた。いずれにせよ18世紀にヨーロッパ人がその苗木を持ち出し移植するまで、この地域限定の香料であった。
 ナツメグの木は高さ20メートルにも達する常緑樹で、標高0~500メートルで育つ。ヨーロッパ人がよく杏のようだという長辺2~3センチのだえん形の実をつけ、時には90年もの樹齢に達する。
 ナツメグが香料として利用されるのは、その種子とそれを包む内皮の二つがある。種子をナツメグ、赤色をした内皮をメース(Mace)と呼ぶが、二つ合わせてナツメグと呼ぶこともある。メースの価格の方が種子のナツメグより高かったのは、より芳しい香りがするからであろう。
 当初この二つのスパイスが同じ木の実から取れることを知らなかったアムステルダムのオランダ東インド会社本部が、「ナツメグの木を切って、代わりにより高価なメースを植えるように」と指示したという、笑える話が残っている。また、ナツメグ・メースおよび丁子はよく金と同じ値段が付いたと言われるが、12世紀のイギリスで、メース約500グラムが羊3頭分の価値があったという記録が残っているというのも興味深い。(「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」=宮崎衛夫著=より)

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