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検索ワード:「インドネシア香料諸島」 全部で109件見つかりました。
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心に残る夕焼け ティドレからテルナテへ
ティドレ島のフェリー乗り場で遅れたフェリーを待っていたとき広がった夕焼けほど心に残るものはない。 前面に穏やかな波の漂う黄金の海、かなたには淡い青空の中に湧きあがった雲の峰。刻々と形を変える雲は落ちる夕日に照らされて、燃えるように彩ら...
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英を排除、丁子根絶も 支配権強めるオランダ
■アンボン事件 マルク諸島でのイギリスの衰退は、1623年のアンボン事件により致命的となった。オランダの司令官が、イギリス人17人と日本人傭兵9人(平戸出身の七蔵含め全員九州出身)をオランダの城塞(ビクトリア要塞)を奪取しようと企ててい...
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マゼランの記念碑 ティドレのフェリー乗り場 (24)
ティドレ島のフェリーの発着場所ルンのすぐ側に、スペイン砦(とりで)があるというので行ってみた。そこに砦らしきものは見当たらなかったが、思いもかけずこの場所に、フェルディナンド・マゼランがフィリピンのセブ島で原住民に殺された後、エルカーノの...
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バタビア制すオランダ イギリスとの交渉
1618年にジャヤカルタの王子はオランダ東インド会社(VOC)と条約を結び、スンダ ・クラパ港とつながるチリウン川の東岸に倉庫を建てることを認めた。VOCの第4代総督となったヤン・ピーテルゾーン・クーンは倉庫群の警護のため、バタヴィア城塞...
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あくせくしない ティドレの暮らし
ソアシウ村は元ティドレ王国の首都。今でも王宮のあった場所が平地より少し高くなっている。ソアシウ村のメーン道路は要塞下から北に延びる。車も人通りも少なくゆったりした生活ぶりを感じる。当地の行政当局が中国人とアラブ人の商売を禁止した時期があっ...
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スペインは消えたが オランダの戦略
スペインが勝利したので、敗れたオランダはテルナテ島の東側に上陸し、ポルトガルが放棄したマラヨ要塞(ようさい)を占拠し、改修することによって強固な要塞に造り変えた。スペインは秘かに島に渡ってマラヨ要塞を襲ったが失敗し、ガマラマ要塞に退却した...
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ひなびた離島 ティドレを反時計回りに
テルナテ島からティドレ島に向かうフェリーで2人の青年と言葉を交わした。2人ともテルナテ大学で漁業を学んでいるという。土地柄、漁業は重要な産業であろう。シャイで朴とつな学生さんであった。 そう言えば、前日ガマラマ山の中腹の森の中にあるテルナ...
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地歩固めるオランダ ポルトガルに勝利
オランダ東インド会社(VOC)は、商取引の独占権を与えられただけでなく、条約締結、港の建設、知事の任命、法の施行、さらに戦争行為までも可能となった。軍隊を持ち、貨幣の鋳造さえした。VOCの権限を行使できる地域は、「喜望峰の東、マゼラン海峡...
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いよいよティドレ島 テルナテから1キロ
テルナテ島からティドレ島に渡る日の朝、朝食前にホテルの山側を散歩する。天候も良く、風も爽やか。ガマラマ山の頂上がくっきりと見える。裾野がなだらかに広がる典型的なコニーデ型の火山だ。ほんの1カ月前に空港を閉鎖させるほどの噴火があったのだが、...
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脅威の東インド会社 ビジネスに専心
オランダが香料諸島に初めて足を踏み入れたのは1596年である。ポルトガルによる喜望峰回りのインド航路独占は破られたのである。オランダは、イベリア勢力に対抗する商業活動を切り開くために、軍事力をも備えた一体化したシステムを作り出さねばばらな...
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今も布袋を担いで 丁子の採集と船積み
テルナテ島で最古の丁子の大木を見た。そもそも丁子はどうやって輸出していたのだろうか。 マルクの人々はその昔は、丁子のなっている木を切り、それを船に運んでいたという。ポルトガル人は、丁子の芽を手摘みして黒く変色するまで太陽光で乾かし、そ...
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ティドレの繁栄と没落 オランダに屈す
ヨーロッパ勢の進出前は、ティドレ王国はこの地域での政治・経済面で大きな力を誇っており、テルナテの強烈なライバルであった。ティドレのスルタンは、ハルマヘラ島南部の大部分、ブル島、アンボン島、そしてパプアの海岸沖の島々まで支配していた。 ...
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丁子の木は残った テルナテ島の要塞と古木
テルナテ島南西部にあるガマラマ要塞を建設したのはポルトガル人だったが、1570年にスルタン・ハイルンを殺害した。ハイルンの後継者であるバーブラーが反撃し、ポルトガル人は75年までの5年の間、要塞内に捕えられてしまった。ポルトガルは要塞をス...
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繁栄するテルナテ ポルトガル退け (17)
1257年に建国されたテルナテ王国は、マルク諸島の4王国(テルナテ、ティドレ、バチャン、ハルマヘラのジャイロロ)の中では最大の力を誇っていた。それは1380年に、ティドレやジャイロロを打ち負かしてから特に顕著になったようだ。 16世紀...
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育つ丁子とナツメグ テルナテ島の道路沿い
テルナテ島の車の旅は続く。道路脇には丁子の木やナツメグの木が大きく成長している姿が見られた。丁子の木は、熱帯多雨の地域で育つ常緑樹。種子から発芽し20年ほどで10メートルほどの高さに生育し、年2回収穫できる。ナツメグの木は同じく熱帯地域で...
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ポルトガルの手に マルク諸島の地位
スペインとポルトガルはマルク諸島の帰属をめぐって激しい論争を繰り広げたが、幾度かの交渉の後、1529年に合意に至り、サラゴサ条約を結んだ。ポルトガル王ジョアン3世とスペイン国王カルロス1世による条約はマルク諸島の東(ブル島の東1425キロ...
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路上で丁子を日干し テルナテ島の車旅 (17)
1周約44キロのテルナテ島。反時計回りで車の旅を続けている。走っていると、途中の村のあちこちで丁子を日干ししている光景に出合った。アンボンの村でも見たが、やはりここの方がより本格的な感じで、手入れしている人たちも多い。まだ摘みたてらしく黄...
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【香料諸島の旅】世界を二分する条約 スペインとポルトガル
スペインのビクトリア号がティドレ島を離れてすぐ、7隻のポルトガル船がテルナテ沖にいかりを下ろした。テルナテのスルタンはポルトガルに友好的な態度を示した。ポルトガルは1523年には、マルク諸島で初めての要塞となるテルナテ聖ヨハネ要塞、別名ガ...
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伸びやかな風景 西に山、東に島々
テルナテ王国は、1257年に建国される。スルタン・バーブラー(在位1570~83年)の統治時代に最も栄え、その勢力範囲はスラウェシ、アンボン、セラム、ティモール、パプア諸島に加え、フィリピンの南部のミンダナオをも含んでいた。 15世紀...
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【香料諸島の旅(歴史編)】⑭ 初の世界一周 生還したのは18人
フェルディナンド・マゼランの死後、ティドレ島に滞在していたビクトリア号の一行47人は、北のモンスーンが吹き始めた1521年12月、51人を島に残し出航した。船長フアン・セバスティアン・エルカーノ率いるビクトリア号は西へ進み、喜望峰回りでス...
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【香料諸島の旅(15)】絵のように美しく 人の良さを実感
テルナテ島1日目の夕刻に近づいたとき、運転手のマンシュールがぜひ見せたい景色があると言い、ガマラマ山の裾野から中腹へと悪路を駆け上がって行った。確かに彼が自慢する値打ちはあった。深い緑に包まれた小さな湖、海の向こうのマイタラ島と雲がかかっ...
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マゼラン死す 丁子積み帰国の途へ
太平洋を渡ったフェルディナンド・マゼラン(1480~1521年)は、フィリピン諸島のセブ島で統治権の確立とカトリックの布教を企て、セブ島の王はそれに従う姿勢を見せたが、セブ島東沖合のマクタン島の領主のラプラプがマゼランに服従することを快く...
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【香料諸島の旅】列強が次々支配 テルナテの要塞
テルナテ島の町を見学する。オラニエ要塞に続く二つ目はカラマタ要塞といい、島の南東のバスティオン港のすぐ近くにある。ここでも、案内版の説明を読んでみる。なにせインドネシア語なので厄介だが、この要塞の主が転々と変わっていった流れを知ることがで...
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【香料諸島の旅(12)】 マゼラン、太平洋へ 壊血病との闘い
1519年8月、トリニダード号、ビクトリア号を含む5隻のマゼラン艦隊が、コロンブスが27年前に試みた香料諸島へのルートを、西から発見するため、まず南大西洋に向けて出港した。艦隊は、既にポルトガルが領有権を主張していたブラジルにいかりを下ろ...
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要塞築くオランダ テルナテで香料独占
アルフレッド・ウォーレスの居宅を訪れた後、テルナテの町をゆく。町の中心のメーン道路に面したところに、17世紀に建造されたテルナテ王国のスルタンのモスクがある。屋根がドーム状になっているよく見慣れたモスクと形は違うが、ガマラマ山を借景とした...
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マゼラン出航 世界周航果たす
フェルディナンド・マゼラン(1480~1521年)の世界周航ということがよく言われる。香料諸島を目指したマゼランはスペインから出航し大西洋を南下、後に「マゼラン海峡」の名が付いた南アメリカ南端の海峡を回り、太平洋の横断に成功。香料諸島にあ...
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まずはウォーレス 今も民家として
テルナテの空港で、手配していた運転手が待っていた。空港から少し走ると、対岸にある双子の島の片方のティドレ島が目に飛び込んでくる。円錐型のコニーデ式火山キエマトゥブ山は、機上から 見えた時には雲がかかっていたが、今は山頂がくっきりと見える...
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【香料諸島の旅(歴史編)(10)】ナツメグの島に到着 香料取引の75%占める
マラッカを攻略してから数カ月後、ポルトガルのアフォンソ・デ・アルブケルケ(1453〜1515年)は3隻の船団をマルク諸島に派遣した。そのうちの船長の一人であったフランシスコ・セラオ(〜1521年)は、マレー人とジャワ人を含む120人の乗組...
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【香料諸島の旅】(11) 間もなくこの目で アンボンからテルナテへ
アンボンからテルナテまで1時間半のフライト。いよいよ、かねてから訪れたいと願望していた目的地が近づき、これから見る地への期待が高まり、心踊る気持ちである。眼下にティドレ島が目に飛び込んできた。その後テルナテ島に近づく。どちらも火山島であり...
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【香料諸島の旅(歴史編)(9)】マラッカを制す 香料貿易独占へ
ポルトガルのペドロ・アルバレス・カブラルはブラジル発見後の1500年9月にインドのカリカットに到着。そこでザモリン王と面会し、バスコ・ダ・ガマが粗末な贈り物でザモリンに侮られた反省で、豪華な贈り物を献上した。それが功を奏し、ザモリンより沿...