検索結果
検索ワード:「インドネシア香料諸島」 全部で109件見つかりました。
-
【香料諸島の旅】衝突の歴史もあった アンボンに別れを告げる
マルク州では香料を求めてこの地域に来たヨーロッパ人らの影響でキリスト教徒が半数を占める。一方イスラム教は、13世紀にやはりスマトラのこしょうなどの香辛料の取引をしていた主にマラッカのイスラム商人(アラブ人やインド人)によりインドネシアに広...
-
【香料諸島の旅(歴史編)(8)】壊血病乗り越え インドへの道開く
1498年10月、バスコ・ダ・ガマはインドからポルトガルへの帰路についたが、モンスーンの遅れと乗組員の間に広がった壊血病により、往路よりも大変な航海となった。壊血病はビタミンCの供給源となる新鮮な野菜と果物の欠如からくるものであった。最初...
-
【香料諸島の旅】(9) 歩いたらザビエル像 モスクと教会が混在
アンボンの町を歩いていると、前面に大きな像が目立つ教会に出くわした。入口に聖職者らしい人がいたので、これは、もしやアンボンにも布教に来たザビエルかと尋ねると、まさにフランシスコ・ザビエル像であると説明してくれた。やはり歩いてみるものだ。 ...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(7) 新大陸と新ルート インドへの道目指し
クリストファー・コロンブスは4回にわたって航海に乗り出しているが、乗組員の反乱や、植民地での指導者としての能力を問われ、第3次の帰路の航海では船内で監禁されるなど、大変不遇な時期も過ごしている。アメリカ本土(南アメリカ大陸の沿岸、現在のベ...
-
【香料諸島の旅】(8) 要塞は軍の施設に 目が輝いている児童
アンボンのビクトリア要塞は、オランダがアンボンからイギリス人を追い払うきっかけになった「アンボン事件」の舞台となった要塞であり、また英雄のパティムラが1817年に処刑されたのは、まさにこの要塞の正面であった。アンボンの町はこの要塞によって...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(6) 大航海時代の幕開け 喜望峰の発見
1460年、ポルトガルのエンリケ王子の死後、ジョアン2世がアフォンソ王を継ぎ、海外進出政策を進めてバルトロメウ・ディアス(1450ごろ〜1500年)の探検隊を派遣した。ディアスは1487年リスボンから出航し、アフリカ最南端の岬を回ることに...
-
【香料諸島の旅】(7) 市場で丁子とナツメグを 人いきれと活気と
アンボン市内を巡る旅が続く。昼食は前夜閉まっていたレストランで魚料理を食べ、ベンテン・シンガー5というグループに属する男性歌手によるアンボンの歌を聞くことができた。昼食後、アンボン庶民の暮らしぶりの一端を垣間見たいと、島で一番大きい市場「...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(5) ポルトガルの進出 大西洋南下ルート開拓
キリスト教徒はイスラム勢力と戦いながら、アラブ人の高い文化や技術を学び取り、海事・船舶の技術、商業・金融の知識を身につけ、一時停滞していた力を蓄えていく。その力がルネサンス期の到来とともに栓を開かれ、ジブラルタル海峡から大西洋に向かって乗...
-
【香料諸島の旅】(6) オランダと戦った英雄 独立のシンボルに
アンボン市内のシワリマ博物館からダウンタウンに戻る。さすがにこの辺りは郊外とは違い、交通量も多い。行き交う車が以前のようなオンボロ車ではなく、小ぎれいな車が増えている。経済発展の成果をこのような離島でも感じることができる。いや離島というの...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(4) マルコ・ポーロの旅 「東方見聞録」に香料の記載
イタリアのべネチアで東方貿易商人の家に生まれたマルコ・ポーロ(1254〜1324年)は、中国でフビライ・ハンの保護を受け、17年間もの長きにわたり元朝のもとにとどまり、中国各地を視察し見聞を広めた。中国への往路は陸の旅(シルクロード)であ...
-
【香料諸島の旅】(5) 昔はフェリーで市内へ 3度目のアンボン
実は、アンボンにはジャカルタ駐在時代(1989〜92年)に2度来ている。最初は取引先の西パプア州のソロンにある合板工場見学の予定が、経由地のビアク発の飛行機が2日間もキャンセルで飛ばず(なんと客が少ないからとの理由だった)、アンボン経由で...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(3) 長安を拠点に西へ 高値が付くスパイス
スマトラ南部のパレンバン近くに仏教王国であるスリウィジャヤ王国(3〜14世紀)ができると、そこがインドと中国との間の主要な商業取引の中心地となった。スマトラとジャワの商人は、マルク諸島に遠征し丁子、ナツメグを集荷、中国、インドそしてアラブ...
-
【香料諸島の旅】(4) 歴史の舞台に一歩 宗教紛争乗り越え
アンボン市の北西15キロほどのヒラ村に位置するアムステルダム要塞(ベンテン・アムステルダム)を訪れたときは、天候に恵まれ、爽やかな空気の中に吹く海からの穏やかな風、そこはかとなく漂ってくる緑濃い木々の匂いに包まれ、香料貿易の歴史の舞台に一...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(2) 長くて危険な帰路 ローマ帝国の時代から
マケドニアのアレクサンダー大王(紀元前356〜323年)が建設したエジプトのアレクサンドリア港が古代の経済および文化の中心地であり、何世紀にもおよぶ代表的なスパイスの港であった。大王の死後、アレクサンドリアを首都としていたプトレマイオス朝...
-
【香料諸島の旅】(3) 庭先に干した丁子 日本から26時間で
ジャカルタで合流した4人組はスカルノハッタ空港を発ち、予定通り午後2時にアンボンのパティムラ空港に到着した。かのマゼラン艦隊がスペインを出てから艱難辛苦(かんなんしんく)の揚げ句、2年3カ月かけてたどり着いた香料諸島の一角に、我が一行は日...
-
【香料諸島の旅(歴史編)】(1) 風を読まなければ 古代の航海者たち
「歴史編」では、香料取引に関する古代からの歴史、大航海時代のヨーロッパ勢の動き、歴史を切り開いた航海者たち、ヨーロッパ勢に振り回されたマルク諸島の2大スルタン王国(テルナテ、ティドーレ)、それにオランダの植民地支配の背景などを追う。 ...
-
【香料諸島の旅】(2) 膨らむ期待 懐かしい匂いに包まれ
訪問したのは香料諸島の中のアンボン、テルナテ、ティドレ島である。ナツメグの原産地であるバンダ諸島訪問は次の機会になる。また、中部ジャワのヒンドゥー寺院であるプランバナン、仏教遺跡であるボロブドール寺院を訪れた。ジャカルタではオランダ東イン...
-
【香料諸島の旅】(1) ちょっとそこまで 丁子、ナツメグ求め
インドネシア語で「チャリ・アンギン(Cari angin)」という言葉がある。道端で知り合いに出会った時、どちらまでと聞かれて「ちょっとそこまで」と言うのと同じで、「風を探しに」と言う曖昧な表現を使うのである。 今回の旅のきっかけとな...
-
「香料諸島」の紀行本出版 元イ駐在の銀行マン 定年後に旅続け 「原産地で香りを」
かつてヨーロッパの航海者たちが命をかけて目指したインドネシア北東部の香料諸島にあこがれた元インドネシア駐在の銀行マンが定年後に香料諸島を旅し、紀行本を自費出版した。大航海時代に興味を引かれ、丁子とナツメグの原産地で香りを嗅ぎたいという思い...