【じゃらんじゃらん特集】タンゲラン旧市街を訪ねて(下) 多民族共生へ 社会活動も 文徳廟・文山廟

 ブタウィ人やスンダ人ら地元の人々と共生してきたバンテン州タンゲランの華人たち。旧市街「パサール・ラマ」には華人文化博物館「ベンテン・ヘリテージ」のような文化施設のほか、たくさんの中国寺院があり、現在も華人の心の拠り所となっている。
 中国正月である春節(イムレック)を迎えた10日、タンゲラン最古の中国寺院「ブン・テック・ビオ(文徳廟)」は参拝者でごった返した。真っ赤なろうそくから火を灯した線香を高々と掲げ、祈りを捧げる。中国服で着飾った家族連れも目立つ。
 タンゲラン市内に住むリウ・シーシェさん(40)は「私はプロテスタントだけど、一族そろってお参りに来た。この寺院はタンゲランを中心に首都圏の華人たちが集まる場所にもなっている」と話す。
 ブン・テック・ビオは1684年に建造された。ボゴールからバタビア(現在のジャカルタ)南西部へと蛇行するチサダネ川の河口の東側に構え、市場とともに町を形成。現在、タンゲランと呼ばれる地域はここを中心に発展していった。
 華人の宗教施設としてだけでなく、他民族との交流を図る拠点にもなってきた。同寺院広報担当のウイ・チンエンさん(69)は「バロンサイ(獅子舞)や昇り竜のグループをはじめ、チサダネ川で毎年開催しているドラゴンボート・レース(ペチュン)には華人以外の若者が多数参加する」と語る。
 昨年は同寺院の社会団体の創立100周年を迎えた。12年に1回、辰年に行われる祭礼「ゴトン・トペコン」も10月に開かれ、首都圏のほか、中部ジャワ州スマランなどの団体も参加。タンゲランの華人が演じるアチェのサマン・ダンスをはじめ、各民族の伝統芸能が披露された。インドネシアの国是「多様性の中の統一」を体現する一大パレードを一目見ようと、タンゲラン中心部の大通りに数万人の市民が繰り出した。
 チンエンさんは、各時代に開かれたこの行事の写真を見せながら「華人文化を弾圧したスハルト政権当時も許可されたが、ルートは市街の一部だけ。昨年は同政権崩壊後、初めて開催された。私はここで生まれ育ったが、これほど盛り上がったことはなかった」と目を細める。
 タンゲランも急速に変化している。カラワチやスルポンなどの地区には高級住宅地が次々と造成され、巨大なショッピングモールが乱立するようになった。富裕層の華人はこうした新興開発区に集まるようになって久しい。スカルノハッタ空港とメラック高速道路の間に位置する旧市街は、開発から取り残されたがゆえに、昔ながらの街並みが残っている。
 旧市街の外れにある中国寺院「ブン・サン・ビオ(文山廟)」の管理人、アルベルトさん(40)は「われわれのような宗教施設も活動を活発化し、信者を引きつける努力が必要だ」と話す。
 春節などの年中行事だけでなく、社会活動も行ってきた。「華人は金持ち」との見方は根強いが、アルベルトさんは、タンゲランにはさまざまな所得層の華人がいると強調する。「タンゲラン郊外には農民の華人もおり、住民登録証(KTP)などの申請時には、さまざまな書類を求められるなど、いまだに差別を受けることもある」と話した。(終わり、配島克彦、写真も)

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