【人と世界】 「魔女」になった私 ライジュア島の女性研究31年東京造形大名誉教授 鍵谷明子さん

 今も「魔女」を信じる人たちがいる。東ヌサトゥンガラ州サブ・ライジュア県ライジュア島。東京造形大名誉教授(文化人類学)の鍵谷明子さん(67)は1981年以来、足掛け31年、島に伝わる魔女信仰に基づく女性文化を研究してきた。(上松亮介)

 島民の祖先として畏怖され、島民の心に生き続ける魔女バンニケド。平民層出身で上昇志向も強く、人間くさいところに引かれた。「身分の高い金持ちの男とのみ契れ」。性に奔放で姦通を繰り返したという魔女の言葉が島に息づく。
 島の女性たちが話すのは、艶っぽい色恋沙汰。常に女が主役で、男を泣かす、裏切る、手玉に取るという内容ばかり。他人の夫を誘惑しては私生児を次々と生む。魔女直伝の惚れ薬があるという。興味深い話題は尽きない。いつしか島民は、頻繁に島に出入りする日本人研究者を魔女と思うようになった。
■イカットの絆
 魔女の資料集めを続けるうち、母系集団の女性たちが強力な発言権を持つことに気付いた。死者祭宴(タオレオ)や結婚式など重要儀礼の規模や実施時期などを決定する。儀礼に必要不可欠のイカット(手織り布)を織るのも、もちろん女性。あらゆる場面で、女性が大きな役割を果たす社会だった。
 姉妹が兄弟のために織るイカットには、道中や仕事上の安全を守護する強い霊力があると信じられている。沖縄にも伝わる、姉妹が兄弟を霊的に守る信仰だ。兄弟が危険な船旅に出るとき、姉妹はイカットを託す。魔女とその弟の姉弟の絆をめぐる伝承が、女性が力を持つ独特な社会を生む源泉になったという。
 研究生活を支えてくれたのは、初めて島を訪れたときから通訳・案内を務めてくれた小学校校長のダウドゥ・パジェさん。2009年73歳で亡くなるまで、魔女信仰の慣習法の存続を望んでいたという。研究成果をまとめ、10年に刊行した本「Female culture in Raijua」はパジェさんに捧げた。
■「僻地支援」で激変
 サブ・ライジュアが郡に昇格した92年、島北岸のナモ港に1隻の海軍軍艦が乗り付けた。僻地(へきち)支援の一環で、テレビや発電機など島にはなかった物が積まれていた。 
 島の時の流れが急に走り出す。テレビでスポーツ観戦を楽しむようになり、中央政府による港湾事業が開始。布の盗難といった犯罪も増え、90年代後半には海草養殖ビジネスが定着していった。
 県に昇格した10年には、大規模なインフラ事業も着工した。トラックが砂ぼこりを上げて走り、灌漑(かんがい)設備も整備され、豊富な野菜が育つようになった。手紡ぎ糸で天然染料を使っていたイカットは、化学染料を使うのが常になった。キリスト教への改宗も進み、魔女信仰はどんどん薄れていく。「精神文化は変化しても、イカットの物質文化を通じ、魔女とのつながりを記憶に留めていってほしい」と願っている。

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