惨事を伝え残す歴史舞台 ボンドウォソ鉄道博物館 東ジャワ州
コロナ禍における緊急活動制限、PPKMがレベル1に引き下げられ、このまま穏やかにコロナ感染拡大の終息を願うばかりのジャカルタです。ワクチン接種証明や抗原検査の陰性証明提示など「新しい生活様式」のもと、国内旅行へのハードルもさらに低くなってきています。そんな中、今回のおすすめ観光情報は、東ジャワ州ボンドウォソにある鉄道博物館を紹介します。
東ジャワ州ボンドウォソは州都スラバヤから車で約4時間半、バリ島との間を往来するフェリーの発着港であるケタパン港まで3時間ほどのところに位置しています。そんなアクセスが難しい場所にひっそりと残るのがボンドウォソ鉄道博物館です。
ボンドウォソ鉄道博物館はジュンブル―カリサット―ボンドウォソ―パナルカン鉄道の駅のひとつとして実際に使用されていたボンドウォソ駅の駅舎です。この路線は、東ジャワ一帯の広大で肥沃な土地で栽培されるタバコ葉、コーヒー、米、お茶などのプランテーションの農作物を当時の巨大貿易港であるパナルカン港に運搬するために敷かれた鉄道です。ボンドウォソ駅は1893年6月23日に建設開始、1897年10月1日に営業が始まりました。現在でもジュンブルには当時の様子を彷彿させるような見渡す限りのタバコ葉畑が広がっていますが、鉄道は設備の老朽化などが原因で2004年に廃線になり、その後、16年8月17日、インドネシアの71回目の独立記念日を機に博物館として開館しました。
鉄道博物館といえば、ジャカルタならばタマン・ミニ・インドネシア・インダ―(TMII)内にある交通博物館、鉄道ファンの聖地とも呼ぶべき中部ジャワのアンバラワ鉄道博物館が有名で、数々のビンテージ機関車が展示されていることから沢山の鉄道ファンや乗り物好きさんたちが訪れます。
しかし、ボンドウォソ鉄道博物館には機関車はありません。その代わりに、きれいに補修された駅舎内にこの土地の鉄道の歴史的役割とここを舞台に起きた惨事を伝え残す当時の器具、模型、写真、パネルなどが展示がされています。
その惨事とは、独立戦争真っただ中の1947年、オランダ軍に抵抗したとの理由で捕虜となったインドネシア人の囚人100人がスラバヤの刑務所に輸送される際、炎天下の過酷な状況で狭い車両に何時間も詰め込まれ、命を落としたというのだそうです。この時、実際に使用されていた車両のひとつはマランのブラウィジャヤ博物館に展示されているとのことで、興味のある方は併せて訪問してみるとより理解が深まるのではないでしょうか。
ジャカルタでは「Mブロック」や「ポス・ブロック」など再利用された歴史的建築物が新しいトレンド発信基地として注目を集めています。放置しておけばいつの間にか廃墟と化してしまうだけの建物。改めて「箱」としての魅力が見直され、建物が持つ本来の役割、歴史、文化なども併せて後世に残されていくよう、ここボンドウォソ鉄道博物館にも沢山の方々に訪問して欲しいと願います。(日本旅行インドネシア 水柿その子 写真も)
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