グスドゥルの笑いここにあり プサントレン・トゥブイレン校 伝統的イスラムの門前町 東ジャワ州ジョンバン

 東ジャワ州ジョンバン県ディウィック郡のイスラム寄宿学校「ポンドック・プサントレン・トゥブイレン」は、故アブドゥルラフマン・ワヒド元大統領(通称グス・ドゥル)が学んだ、インドネシア最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマー(NU)の総本山。「寛容なイスラム」を掲げるNUの思想が凝縮した、少年少女の鍛錬の場だ。
 コーランに視線を落とす、きりっとした顔をした子どもたち。頭は皆、花が敷き詰められた場所に向く。グス・ドゥルの墓だ。尊敬を集める師の墓前で勉強すると賢くなる、と伝えられる。あくまで「そこで勉強している」だけで、イスラムが禁止する偶像崇拝にはならない。ジャワの神秘主義との融合が垣間見える。
 未明、プサントレンは大いなるアザーン(礼拝の呼び掛け)に包まれた。体の芯まで染み渡る荘厳な響きは細やかに揺れ、反復する。知らぬ間に精神の底へと誘われるよう。サロン(腰巻き)、ペチ(イスラム帽)、バジュ・ココ(ムスリムの服)姿の子どもと教師ともども、水浴び場で体をざぶざぶ洗い、早朝の礼拝をする。
 朝から午後にかけて学校で勉学に勤しみ、その後も個々で古典を学ぶ。全国やマレーシア、フィリピンなど海外からの生徒2700人が数年間、親元を離れて暮らす。「60、70代から教育を近代化し、英語、中国語など外国語や科学の学習を取り入れ始めた」とグス・ドゥルの弟、サラフディン・ワヒド校長は語る。
 NUの始祖の1人、グス・ドゥルの祖父ハシム・アシャリ氏が1899年にプサントレンを創立。村はイスラム教育施設が集まる「門前町」に発展した。礼拝時は周辺住民が校内のモスクに集まり、入りきれず沿道にじゅうたんを敷く人が続出する。ハシム氏は日本軍政期には、日本が宗教勢力を一括化した宗務部の部長を務めた。
 日没、断食が開けた。「主の食べ物を頂いて断食を終えました」。子どもたちが食事の皿を前に、元気いっぱい祈りを捧げた。宵の礼拝を終えた後、子どもは校内にある、住民が開く夜店に列をつくる。エス・ブア(フルーツ・ポンチ)、コラック(ココナツミルクのぜんざい)、ミー・アヤムと色とりどりの夜店が、日本の夏祭りを彷彿とさせる。スピーカーからはジャワ語の講話が流れ、説教師が語る後を子どもの笑い声が追いかける。イスラム古典を日常の面白みを交えて解説しているそうだ。
 「子どももプサントレンに入れる。将来はお医者さんになりたい」と今年女子宿舎に入ったサイイダ・ファティマ・アズザフラさん(13)は夢を見る。一方、男子の宿舎。十数個の2段ベッドが並び、30人以上が生活をともにする大部屋ではどたどたと木目の床を鳴らして走り回り、木曜夜の自由時間を楽しんでいた。(吉田拓史、写真も)

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