【よく分かる政党特集】 国民の選択 総選挙まで1カ月

 インドネシアの今後を占う総選挙まで約1カ月。ジャカルタ特別州のジョコウィ知事の動きをにらみつつ、政党ごとの動きが慌ただしくなってきた。総選挙には多数の政党が参加するが、現時点で重要な6政党を概観し、その歴史、政策、党首と民主化後の消長、離合集散をまとめた。(吉田拓史、高橋佳久、道下健弘)


■強い指導者像を強調、農村に再配分 グリンドラ党
 グリンドラ党は闘争民主党やゴルカル党と異なり、2008年2月に結成された新しい党だ。近年の世論調査ではプラボウォ最高顧問の人気を背景に10%以上と支持率が上昇している。
 母体はガジャマダ大学のスハルディ教授が07年に結成した農民漁民党。党首はスハルディ教授だが、権力はプラボウォ最高顧問が握る。農民漁民党にはインドネシア農民協和協会(HKTI)幹部が在籍し、プラボウォ氏はHKTI会長を務める。当初同氏はゴルカル党に所属していたが、大統領選に出馬するため農民漁民党に参加。グリンドラ党に改名した。
 党員にはプラボウォ氏の所有企業幹部が名を連ね、弟のハシム・ジョヨハディクスモ氏の豊富な資金力も強みだ。
 農村への所得再分配と国是「パンチャシラ」(国家5原則)教育強化をうたい、「国民変革の6行動計画」を政策指針とする。19年までの次期大統領任期中に、1人当たり国内総生産(GDP)を3500ドルから6千ドルに引き上げ、貧困層を縮小させるなど経済成長の質の向上を図る。国営企業を経済の自立の牽引役にするというナショナリズム色の強い項目もある。
 プラボウォ氏が注目される理由は、ユドヨノ大統領の優柔不断な態度と反対に、力強い指導者像を打ち出していることにある。国民の間ではスハルト時代がよかったという声も根強くあり、プラボウォ氏はスハルト大統領の娘婿であることや、スハルト時代と同様に農村重視の政策を打ち出していることで農村部に支持者が多く、ユドヨノ大統領に不満を持つ国民の支持を集めている。
 しかし、プラボウォ氏はかつて、スハルト氏から大統領の地位奪取を狙い1998年の五月暴動を引き起こした黒幕とされ、国軍時代には人権侵害をしていた疑いから、大統領としての資格を疑問視する声もある。スハルト政権崩壊後はビジネスを手掛ける傍ら、ゴルカル党の幹部として政治活動を続けていた。

■党内闘争激しく、スハルト体制復活を狙う ゴルカル党
 前身のゴルカルは、スカルノ大統領の後半にできた反共の職能組織を、スハルト第2代大統領が自身の基盤として集票装置につくり替えたものだ。高級官僚から農村の村長までネットワークを張り、投票時には国軍兵士、行政機関が農村に入り強く投票誘導した。このため常に得票率6割以上、過半数を抑えた議会は、スハルト氏を大統領に任命し続けた。
 98年のスハルト政権崩壊後、翼賛機構から政党に衣替えし、99年総選挙では得票率22%まで落とし衰退したが、アクバル党首(当時)の手腕と改革勢力の自滅で、04年総選挙で第一党に返り咲いた。開発予算を分配する前身の構造から、与党の一角を占めたいという意欲が強い。地域的には中央からの利権分与を待望する外島で強い。
 党内派閥は党首選の度に激しい闘いを繰り広げる。バクリー党首派、カラ前副大統領派、アクバル最高顧問派と、新党を立ち上げたスルヤ氏派の間で04年、09年党首選であからさまにカネが飛び交った。
 バクリー派で固めた執行部は2年前、バクリー氏を党の大統領候補に決めた。だが、バクリー氏はシドアルジョ熱泥噴出事故、脱税疑惑などビジネス絡みの問題が多く、財閥自体も地盤沈下した。昨年末には、地方支部の不満がバクリーおろしに発展。大統領候補見直し問題は総選挙後の全国会議に先送りされた。
 09年党首選で負けたカラ氏は、イスラム政党からもラブコールがあり、04年大統領選のように党を割りかねない。
 バクリー氏、カラ氏の財閥はスハルト大統領が非華人実業家を育てる政策で伸びた。アクバル氏も体制に協調的な学生運動を通じてゴルカルに入った。ゴルカル党はこれら「アナック・スハルト(スハルトの子どもたち)」の政党。スハルト体制のメカニズムを再来させると明言し、スハルト時代懐古を選挙運動に組み入れていくとバクリー氏は話している。憲法裁長官汚職事件で贈賄容疑などでアトゥット・バンテン州知事が逮捕されたが、支持率に影響するかどうか、注目されている。

■ジョコウィ氏抱え世代交代が最大の課題 闘争民主党
 母体はオランダ植民地時代にスカルノ初代大統領ら独立派がつくった国民党。スカルノ氏を追い落としたスハルト大統領は、国民党をキリスト教徒の政党など4党と合同させ、インドネシア民主党(PDI)とし、「体制内野党」として利用した。だが、86年にPDIに入党したスカルノ長女のメガワティ氏には、90年代にスハルト大統領の求心力が落ちるのに伴い、待望論が高まった。これを決定付けたのが96年の民主党本部襲撃事件で、親スハルトのかいらい党首との対立の末、やくざものの襲撃を受けたメガワティ氏は「悲劇のヒロイン」になった。
 メガワティ派はPDIから分離、99年総選挙前に党名に「闘争」を足して、闘争民主党(PDIP)を結党した。レフォルマシ(改革)時代の勢いを駆り、99年総選挙で得票率33%の地滑り的勝利を収め、ワヒド大統領が辞任した後の01年7月、メガワティ氏が大統領に就任した。だが、結党直後に総選挙を戦うため、旧スハルト派から地方の地回りまでを幅広く糾合した「改革の党」は、政権運営に耐えられず行き詰まった。夫タウフィック氏らも絡んだ汚職疑惑や権力乱用疑惑が噴出し、「独立の父」の再来に期待した国民の失望を買った。
 このため04年総選挙でゴルカル党に敗れ、09年総選挙は第3党に甘んじた。政治力にも疑問符が付いたメガワティ氏は大統領選で04年、09年とユドヨノ大統領に2連敗。メガワティ氏周辺が党権力を握るなか、停滞感が出ていたが、12年10月以来メディアでジョコウィ・ジャカルタ特別州知事の人気が急上昇し、党支持率も押し上げた。
 今回選挙では知事を大統領候補に据えれば勝算が高く、リスマ・スラバヤ市長、ガンジャル中部ジャワ州知事などの若手ホープが出ているなか、いまだ「スカルノ」「ナショナリズム」を掲げ続けるベテラン世代から若手世代への「世代交代」が党の最大の課題だ。もし、メガワティ氏が国会会派代表の長女プアン氏に党権力を譲れば、党の内外から世襲批判を招きかねない。
 ユドヨノ政権で与党の汚職が相次いで明らかになっているが、PDIPが10年間野党を通し、大型汚職事件と関係していないことも同党に追い風になっている。


■内紛で低迷、新たな「党の顔」不在 民主党
 民主党は相次ぐ党内の汚職疑惑の発覚と内紛で苦しみ、支持率は低空飛行を続けている。
 メガワティ政権の政治治安調整相として当時、大統領をしのぐ人気があったユドヨノ氏を大統領候補に擁立するための政党として、2003年に登録されたのが始まり。過去2回の総選挙とも、ユドヨノ氏の個人人気が党を牽引。特に1期目のユドヨノ政権はスマトラ沖地震・津波やアチェ和平、テロ事件などの処理で実績を積み、09年総選挙では第1党に躍進した。しかし、ユドヨノ氏の退任は憲法の規定で決まっており、2期目後半は、連立与党の足並の乱れから燃料値上げ問題が迷走するなど、政治的影響力の低下を印象付ける場面が目立った。
 同時に党幹部の汚職疑惑が追い討ちをかけた。これまで党務運営で表立って動くことが少なかったユドヨノ氏だが、競技場建設事業で汚職容疑がかかったアナス・ウルバニング党首が辞任すると、後任選びに難儀。結局自身が党執行部のトップに就かざるを得ず、ユドヨノ氏に代わる「党の顔」がいないという課題が浮き彫りになった。
 そのアナス氏がユドヨノ氏次男のイバス幹事長ら親族、側近の汚職疑惑をほのめかすなど、悪循環に陥り、党全体のイメージ低下に歯止めがかからない。
 一方、党内外から候補者を募り、党として擁立する大統領候補を絞り込む予備選「コンフェンシ」を導入するなど、候補者選びの透明性や詮索論争の活発化をうたった取り組みも今回初めて導入。有権者の関心を引こうと苦心している。党是はパンチャシラ(国家五原則)。民族主義やイスラムなどのイデオロギーを問わず、開かれた政党を目指している。


■支持率0.5%、党消滅の危機 月星党
 スハルト政権時に解体された旧マシュミ党の流れを汲むイスラム保守派の月星党(PBB)は、09年の前回選で法定得票率を下回り、国政参加以来、初めて議席を失った。今回の選挙は失地回復をかけた戦いになる。
 05年5月まで党首を務めた憲法学者のユスリル・イフザ・マヘンドラ氏はメガワティ政権で法務人権相として初入閣。04年の大統領選ではユドヨノ氏支持に回り、第1次政権でユスリル氏が国家官房長官に、同氏から党首を継いだマラム・サバット・カバン氏が林業相に就くなど、小政党ながら国政に一定の影響力を持っていた。
 2004年の11議席、前回の0議席と衰退の一途をたどる。「イスラム社会の実現」を掲げ、イスラム法(シャリア)の導入を訴えるが、人気の政治家もおらず、浮揚につながる決定打がないのが現状だ。CSISの調査(昨年11月)で支持率は0.5%。

■イスラム政党、勢いに陰り 福祉正義党
 福祉正義党(PKS)は国会第4党でイスラム主義を掲げる。汚職撲滅など清廉潔白なイメージを売りに2004年以降、勢力を拡大してきた。しかし昨年、党首のルトフィ氏が牛肉輸入に絡む汚職撲滅法違反などで逮捕され、女性スキャンダルでイメージが失墜。国民の支持率が急落した。
 PKSは、スハルト政権崩壊後の98年7月にイスラムの若手活動家が中心となって設立した正義党が前身。イスラムの原則に忠実な路線を示し、清廉さや規律正しさを強調するなど既存政党とは異なるイスラム政党として都市部を中心に支持を集め、前回の総選挙では57議席と、イスラム政党ではトップの議席数を獲得した。近年ではイスラム保守のイメージを抑えて支持層の拡大を狙っているが、勢いに陰りが見えている。
 閣内の党員にはティファトル・スンビリン情報通信相がいる。

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