【じゃらんじゃらん特集】モナス博物館で「独立宣言」ジャカルタのシンボル 68回目の独立記念日

 ジャカルタ中心部にそびえ立つモナス(独立記念塔)。132メートルの高さから首都の変遷を見つめてきたインドネシア独立のシンボルは、17日の68回目の独立記念日を控え、レバラン(断食月明け大祭)休暇中の家族連れでにぎわっている。 
  モナスの足元に立って眺めると、遠くから見るのとは比べものにならないほどの迫力がある。体を反らさないとモナス全体が視界に入らない。
 「ほら、あそこに見える階段を降りてごらん」。西ジャワ州バンドンから訪れたスシロ・アンディさん(40)が指差した先には、塔の地下に通じる通路があった。
 地下にあるのは国立歴史博物館。5千ルピアの入館料を払い、大理石に囲まれた広大な展示室に入る。床に座って涼む家族連れの周りを取り囲んでいるのは、古代から現代に至るまでのインドネシアの歴史を描いた49のジオラマだ。
 1945年8月17日、オランダ植民地時代から約3年半の日本軍政期を経て、スカルノ初代大統領が独立を宣言した。この様子を描いたジオラマがハイライトの一つ。これに見入っていた父親が息子に当時の状況を説明したり、ジオラマの前で記念撮影したりする家族の姿もあった。「ロームシャ(労務者)」として、日本軍政期の強制労働に従事したインドネシア人たちのジオラマもある。「ジュパン(日本)、ジュパン」。ジオラマを見て子どもが叫んでいた。
 係員によると、レバラン直後の来場者は1日1万5千人を超えたという。この日も、モナスを囲むように500人以上の来場者が行列を作っていた。展望台に向かうエレベーターに乗るためには3時間待ちという。
 「ジャカルタ市民だけど、モナスに来たのは初めて」。大学生のトリ・アジィさん(20)は、インドネシアの歴史を描いたレリーフの前で家族らと記念撮影していた。壁には、インドネシアの国技とされるバドミントンの国際舞台での功績などをたたえるレリーフが彫られている。「いつも遠くから眺めるだけだった。今度来たときは展望台に上りたいな」。モナスは時代を超え、ジャカルタ随一の観光地として人気を集めているようだ。(山本康行、写真も)

◇調和の象徴

 モナスは「モヌメン・ナショナル(国家記念塔)」の略語。1961年8月17日着工、75年7月12日竣工した。デザインを担当したのは、スナヤンのブンカルノ競技場やイスティクラル・モスク、中銀、カリバタ英雄墓地などを手掛けたフレデリッヒ・シラバン氏とスダルソノ氏。スカルノ大統領は、男女や調和の象徴としてリンガ(塔)とヨニ(台座)をかたどったデザインを採用した。
 モナス南側にある騎士像は19世紀、オランダに反旗を翻したディポヌゴロ王子(ジョクジャカルタのハメンクブウォノ3世の長男)。インドネシアの歴史をたどる彫刻がモナスを取り囲む。
 スティヨソ知事時代の2002年、モナス広場の周辺には、露天商撤去や馬車の乗り入れ禁止などを目的に鉄柵を設置。翌年にはボゴール宮殿からシカを連れてきて放し飼いにするなど整備が進められてきた。ジョコウィ知事は毎週土曜日、モナス南側でナイトマーケットを開く計画を立てている。09年以降、ジャカルタ日本祭りのフィナーレの会場にも使われている。
 他に独立宣言にまつわる都心の施設は、独立宣言を起草した日本海軍の前田精武官の旧邸宅である中央ジャカルタ・イマム・ボンジョル通りの独立宣言起草博物館や、独立を宣言したスカルノ邸跡地に建てられた同プロクラマシ通りの独立宣言塔(トゥグ・プロクラマシ)などがある。

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