低所得者住居密集地で火災 団地計画浮上の矢先 住民「全員ここに戻る」 度重なる火災にめげず 

 中央ジャカルタのブンドゥンガン・ヒリル(通称ベンヒル)近くにあるカレット・テンシンの住宅密集地帯で6日夜起きた大規模火災では、家屋420戸が焼け、1600人が現在も避難生活を続けている。同区域では過去、大火災の発生後に公営団地の建設が繰り返され、今回の火災は再び計画が持ち上がった矢先に起きた。スハルト時代から政府や企業による土地の強制収用で、放火という手段が用いられてきたこともあり、住民からは「またか」と疑念の声が上がってい る。
 一時は炎が高さ約20メートルに達した6日夜の火事。周辺の若者、消防隊員、自警団たちによる消火作業は混乱し、翌日には焦げたしっくいの壁だけが並ぶ無残な光景が広がった。
 住民1600人は隣接するモスク、公営団地に避難。一部は墓地にビニールシートで屋根をしつらえ、墓石の上で寝起きしている。
  警察は出火原因について、カンプン(村落)内の家屋で、電気系統の漏電が起きたとしている。ただ出火当時、家人は不在で外から鍵が掛けられていたため、状況を目撃した人はいない。第1発見者の1人、ジュプリ・スプラプトさん(31)は「見つけたときには火はすでに家を包み込み、一気に燃え広がった」と語った。
 住居密集地に食い込むように、ジャカルタ特別州が造った公営団地3棟がそびえ立つ。住民らは3棟の建設と火事の関連性を指摘する。「洪水と同じくらい」というほど、同地区では火災が頻発してきた。特にカンプン全域を焼く大火災はすでに95年と2003年の2回起きている。
  1969年にこのカンプンで生まれたシャエフディン・ウンプットさん(43)は1棟目の公営団地が建設されるまでの経緯を明かす。「95年ごろに公営団地の建設計画が持ち上がり、その直後に四つのRT(隣組)の住居が全焼する大火災になった。数日後に住民が公営住宅建設に反対するデモをしたが、プレマン (チンピラ)がやってきて住民が追い出され、建設が始まった」
 2003年にもRW(町内会)のほとんどが焼け、2棟目と3棟目の土地収用が進んだ。「(06年ごろにできた)2棟目の敷地は、元々墓地だった。州政府が代替地を用意して、親族に移転を促した。移転しないで抵抗した家族がいたが、そのまま墓の上に公営団地が建設された」と30年住むムハンマド・ソレル町内会長(53)は当時を思い出す。
 さらに09年ごろ、5階建てだったこれまでの2棟よりずっと高い12階建ての公営団地が2棟目の隣に建設された。家賃は5階建てがワンルームで70万ルピア。12階建ては2ベッドルームで150万ルピア。 カンプンにある貸家の平均30万―40万ルピアの2倍以上で、たとえ立ち退いたとしても、カンプンの大半を占める低所得世帯の収入では入居できず、ほかの地域への移住を迫られる。
 今回の火災現場の一部である小規模のパサール(市場)には4棟目の公営団地の建設計画が浮上していたが、住民が頑強に抵抗していたという。その矢先に起きた今回の大火災。「燃えたところは再建し、住民は全員ここに戻る」と、同町内会のマルハディ第2隣組長は避難民に囲ま れながら、立ち退き圧力への徹底抗戦を誓う。
 火事から2日後の8日、パサールでは住民がすでに木材を組み立て、再建を始めている。避難生活を続ける住民も「戻って再び住みたい」と声を合わせるが、「着の身着のまま逃げた。お金もない」と困り果てている。(吉田拓史、写真も)

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