【PR】インドネシアでIT起業 タイムドア・インドネシア創業から6年間の苦悩と歩み
インドネシアのジャカルタとバリ島でウェブサイトやアプリのデザイン・開発をするタイムドア・インドネシア(PT. Timedoor Indonesia)。徳永裕社長にインドネシアでの創業について話を聞いた。
―― 現在行なっている事業について教えてください。
インドネシアのジャカルタとバリ島で、ウェブサイトやアプリのデザイン・開発をする会社タイムドア・インドネシア(PT. Timedoor Indonesia)、またインドネシアの子供たちにプログラミング教育の機会を提供するIT教育事業のタイムドア・アカデミー(Timedoor Academy)などを経営しています。
バリ島に開発拠点を設けていて、約100名の若くて意欲のあるインドネシア人がデザイナー、プログラマー、IT講師などとして働いています。
――インドネシアに来る事になったきっかけ、理由を教えてください。
僕は日本で5年間ほど普通にサラリーマンとしてIT企業で働いていたのですが、30代を目前に控えた28歳の時、このまま人生を終わらせられないと思い、勤めていた会社を辞めました。
次は絶対に海外に住もうと決めていたのですが、行く国も就職先も何も決まっていなかったので、就職活動と視察を兼ねて東南アジアの国々を見て歩きました。
現地の生活を見たり、実際にそこで働いている方々に話を聞いている中、シンガポールやマレーシアにはないインドネシアの混沌とした感じ、ごちゃごちゃな感じ、その圧倒的なサイズ感などに惹かれてここで働こうと決心いたしました。
――インドネシアの中でもジャカルタではなく、バリ島で起業したのはなぜですか?
僕は将来、アフリカでビジネスやボランティアをやるという夢があります。そのためにジャカルタのような大都市ではなく、バリ島のように文化や地方色が残っていて、社会起業みたいな事に興味のある方がたくさんいるバリ島は魅力でした。
またIT関連のビジネスは場所を選ばずとも出来るので、給料が高騰しているジャカルタではなく、労働コストも地方基準のバリ島はビジネス的にも魅力がありました。
――アフリカまで視野に入れているのですね。
まだ日本で働いていた時、フィリピンやベトナムなどを旅行やボランティアで訪れていたのですが、そこで世の中には生まれながらに恵まれない人達や日本では考えられないような社会の問題が、まだ沢山あるんだと改めて気づかされました。自分の名前は「ゆたか」ですが、名前に恥じないよう世の中の底辺を支える人々を豊かにできる人間になりたいと思っています。
――実際にインドネシアに住んでみてどうでしたか?
最初は言葉も話せないですし、お金もなかったので、まずはローカルの生活に慣れながら起業の準備をすることから始めました。
バリ島には公共交通機関が限られているので、最初はバイクの運転を練習したり、住んでいる所がローカルで英語が通じないエリアでもあり、インドネシア語を猛勉強して日常会話をできるようにする必要がありました。バイクで転倒して怪我をしたり、自宅がが水シャワーだったり、食べ物が辛くてお腹を壊したり、家に強盗が入ったりと、日本ではあり得ない経験を一気にさせてもらいました。
――会社を起業するのは大変でしたか?
まずプロセスにおける処理の遅さにストレスを溜め込まないようにすることですね。インドネシアでは会社設立や就労ビザの申請に必要なライセンスが膨大で、外資の株式会社であるPMAを立ち上げるのに半年以上の時間がかかってしまいました。
次に会社ができたら人を採用して、営業をしないといけないわけですが、社員がゼロ、安月給の新しい会社で働いてくれる優秀な人など簡単には見つかりません。
そこで現地のIT系のイベントに行ったり、学校でITセミナーをやらせてもらい僕と一緒に働きたいと思ってくれる若いインドネシア人を見つけ、1からトレーニングする事にしました。ようやくトレーニングが終わったと思ったら、その途端に辞める子もいてビックリしましたね。そんな紆余曲折を経てやっと体制が整い営業をする訳ですが、大手のように最初からネットワークがあったりプロモーションをするお金がある訳ではないので、みんなで炎天下の中、お店やホテルなどにいわゆるドブ板で営業をしていきました。今となれば当たり前にわかるのですが、バリ島でドブ板営業なんてしても責任者が現場にいないので話になりません。
結局300件回って責任者に会って話を聞いてもらえたのが3件という絶望的な結果でした。ただその中の1つのホテルが奇跡的にサイトをハックされていて悩んでおり、その問題を解決することを条件にサイトのリニューアル、保守運用をさせていただく機会をいただけました。
その1件のウェブサイトが実績となり、少しずつお客様の数が増えていき現在ではジャカルタにも進出してバリとジャカルタを中心に約300社のウェブサイトやアプリを制作、運用させていただいています。
――インドネシア人と仕事をする上で困ったことはありましたか?
よく言われることですが、インドネシアはイスラム教の国ですのでスタッフの食事やお祈りの時間は会社としてしっかりと対応する必要があります。弊社の場合はバリ島でヒンドゥー教徒も多くいて、彼らは牛が食べられない。そこでスタッフみんなで食事をするときは大概、鶏肉料理になります(笑)。
もっとも困ったのは人材の流動性です。僕のいるIT業界は特に給料の上昇率が高い業界なので、実力のある子ほどすぐ転職してしまいます。
当初は人件費にお金を割く余裕がなかったのですが、ある時にスタッフの半数が面談で辞めると言い出して、あの時はさすがに愕然としました。転職率が高いとは聞いていましたが、いざ自分のスタッフの半数が給料に不満があって辞めようとしているのを目の前にすると、ナイフを胸に突きつけられたような気持ちになりました。
結果的に赤字覚悟で昇給をすることでほとんどの社員が残ってくれ、みんなで仕事を頑張ることで給料を上げても売り上げを伸ばして黒字経営することができました。
その後も何度も辛いことがありましたが、今思えば社員の優しさや明るさに励まされて今日に至ります。6年経った今でもその創業当時のメンバーの多くが一緒に働いてくれているのは、僕の人生の中でも誇りに思えることの1つです。
――これからの目標を聞かせてください。
創業当時からインドネシアでグローバル品質のシステムを提供できる代表的な会社を目指して事業をしてきました。スタッフの技術レベルも対応も他のローカル企業と比べて優れていると思いますが、まだまだグローバルレベルに達したとは言えません。
スタッフの質も量もグローバルスタンダードでみてもトップクラスだと胸を張って言えるレベルをインドネシアの中で実現していきたいと思っています。
また今は子供にプログラミングを教える教育事業のほか、飲食店や小売店の方が簡単に自社のデリバリーアプリを作れるサービスの開発にも力を入れています。
自分を信じてついて来てくれているスタッフのため、自分を変えてくれたインドネシアに貢献するため、これからも頑張っていきたいです。
――最後にこれからインドネシアで起業をしたい、新規事業を任されている、といった方にアドバイスをお願いします。
上述でも紹介させていただいた通り、インドネシアでは日本の常識では考えにくい様々な難しさやストレスがあります。
それでも今日までやってこられたのは、インドネシア人の優しさ、暖かさ、人口2億6000万人の国ならではのダイナミズム、開発途上国ならではの変化や成長の早さなど、この国が自分にとって心地よさや刺激に溢れる場所であったからです。
自分自身がまだ成功者ではないので偉そうなお話しはできませんが、この国のポテンシャルの大きさはとてつもなく大きいですし、日本から移り住んでビジネスをすることで自分自身を成長させる機会になることは間違いありません。挑戦者の1人としてインドネシアに挑戦されたいという方は全力で応援しています。何かお困りのことがあればいつでもご連絡いただければと思います。
お問合せ先
PT. Timedoor Indonesia
徳永 裕
TEL +62 821 4442 0385
Eメール info@timedoor.net
ホームページ http://jp.timedoor.net/
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