苦労の中に実ったバナナ スラバヤ日本人学校 德長邦彦校長
スラバヤ日本人学校(SJS)の德長邦彦校長が2年間の任期を終え、18日に帰任する。赴任中の苦労話や楽しかった思い出などを聞いた。
インドネシア第2の都市、スラバヤ。しかし、在校児童生徒数は小・中学部を合わせて51人と、ジャカルタ日本人学校に比べて桁違いの小規模校になる。最近ではインドネシアでも感染が広がる新型コロナウイルスの影響もあり、家族帯同での赴任を控える企業が増えており、「新年度の小・中学部入学予定者は減ってしまった」という。
ならば生徒たちに手厚い対応ができるのかと思うと逆だ。「日本で校長や教頭の経験があっても、それが活かされない」。小規模校ゆえに、教師は専門教科以外も教えなければいけない。また、学校運営に伴う予算は校長も参加して決める。学校維持会とは2年に1回、学費の調整などを行っていく必要があるのだ。
9月には人事構想を練って文科省との折衝に入るが、教職員は德長校長を入れても12人という陣容。「例えば、中学部の先生が専門教科を教えるだけではなく小学部にも配慮しないといけない」から、先生たちの帰任時期を把握しながら、次の派遣要請を行うという神経質な対応を求められている。
国内にいては想像もできない事案もあった。18年4月に着任して間もなく、市内3カ所のキリスト教会で自爆テロが発生。危機管理体制の抜本的な見直しを迫られた。それまで電話やメールなどに頼っていたが、連絡体制に「ワッツアップ」を導入することにより、未読者へのフォローも可能にした。
「振り返れば平成4年にバンコク日本人学校に小学校教員としていた時、赴任から2カ月目に軍事クーデターが起きた。当時1300~1400人の児童がいたが、この時の経験があったからこそ、スラバヤの自爆テロでも慌てず、対応できたのだと思う」
一方、スラバヤの子どもたちとの出会いは、楽しい思い出として日本に持ち帰ることになりそうだ。
「以前にいた東京の学校は人見知りする子が多かったが、ここの子どもたちは素直でバイタリティーがすごい」。
私生活も楽しんだ。日本語パートナーズの参加者から紹介を受け、「妻と習字教室を開いたり、日本文化を伝えるなど、現地の高校生と触れあう機会を得たのも楽しかった思い出」だ。
ただ、心残りもある。昨年の6月から7月にかけ、校庭と運動場にバナナの苗10本を小・中学部と教員で植えた。すでに実がなり始め、「あと1カ月もすれば食べられそう」。願いかなわず、スラバヤを去ることになるが、帰任後は近所で土地を借り、園芸と野菜作りに励むという。(坂田恵愛、写真も)