血縁なくした人たち 社会局高齢者施設
マツァニ・ハリスさん(64)はこの世から自分がいなくなることを思い浮かべると、とても怖くなる。風の便りでは、家族は故郷の中部ジャワ州スラカルタ市(ソロ)に暮らすと聞く。迎えに来いとは言わない。家庭を顧みなかった罪を償うことはできない。記憶の中の娘は5歳のままだ。目を覚ますとすぐ隣で、友人がいびきを立てる。毎日、同じ夜が明けていく。
マツァニさんは西ジャカルタ・チュンカレンにあるジャカルタ特別州社会局の高齢者・重病人施設で暮らす。半年ほど前、オートバイで走行中、車にはねられ、目を覚ますと病院におり、すぐ施設に送られた。
若いころは陸軍兵士で西ジャワ州バンドン市に単身赴任。軍人生活後、ジャカルタで企業運転手などをして生計を立てたと話す。家族との間に問題を抱え、気付いてみると連絡も取れなくなった。
「回復すればまた働く。ジャカルタには仕事がたくさんある」。リハビリ中の右足をひきずり、目尻にしわを寄せた。
施設の高齢者のほとんどが地方出身者だ。若いころ、仕事を求めてやって来た。漁師や物売り、体を動かせば生活費は稼ぐことができた。懸命に働くうち、地縁や血縁は薄れていった。物乞いとして路上で保護された人も多い。マシュディ施設長は「地方から人を吸い上げるジャカルタで、こぼれ落ちた人をどう守っていくか」と問い掛ける。
推定70歳の女性は実在しない通りを探し、施設内をぐるぐる歩き回っていた。施設の看護師によると、路上で保護された高齢者は過酷な生活が原因で精神病を抱える人が多い。女性は州警備隊に保護されたとき、身分証明証を持っていなかった。認知症を抱え、家族や故郷も分かっていない。「あの通り。あの通り。何という名前だったかしら」。頭を抱える姿は記憶をたどっていた。(上松亮介、写真も)
◇社会局高齢者施設
ジャカルタ特別州内に四つあり、西ジャカルタ・チュンカレンのものには同居する家族などがいない高齢者、重病者が入る。州社会局が無償で運営し、保健局と墓地局が病人治療や、遺体埋葬で協力する。認知症で家を出たまま、行方不明になった家族を探しに訪れる人もいる。