5月暴動、散った命 風化恐れる遺族ら

 「亡くした息子のためにも、5月暴動を絶対に忘れさせない」―。ルヤティ・ダルウィンさん(67)は1998年の5月13日から15日にかけて起きた暴動で、32歳の長男を亡くした。2007年から毎週木曜、スハルト政権期にあった人権侵害の究明を訴えるため、中央ジャカルタの大統領宮殿へ足を運ぶ。
 今月16日、炎天下の額に汗が流れる。通常のデモと違い、参加者は声高に要求を叫ばない。デモはもう300回を超えた。ルヤティさんは黒い服を着て、じっと大統領宮殿を見つめるだけだ。息子の死を忘れさせまいとする強い決意を見せるが、世間に置き去りにされたむなしさを感じていた。
 大統領宮殿前には犠牲者の顔が似顔絵と写真で並べられ、ルヤティさん同様、15年の月日の重さを物語っていた。墓地の集会にも参加したカルトノさん(37)は「スハルト時代の方が良かったっていう声があるみたいだけど、権力者を批判しただけで殺されるような、あの息苦しい時代に戻ることは絶対にあってはならない」と、犠牲者の遺族とともに記憶が風化しないようこれからも闘っていくことを誓った。
 5月暴動は、同月21日のスハルト政権崩壊、その後の民主化につながる一連のレフォルマシ(改革)運動の中で、大きな傷痕を社会に残した。デモ参加者のススノ・ダルウィンさん(57)は「犠牲者の苦しみを、社会が知らなくてはいけない」と力を込めた。
 15年が経ち、5月暴動を振り返る機運が高まった今月。ジャカルタでの動きから「忘れない、忘れさせない」思いを写真で紹介する。
■レフォルマシ受け継ぐ
 スハルト政権末期に学生4人が陸軍特殊部隊(コパスス)に射殺されたトリサクティ大学(西ジャカルタ・グロゴル)の学生たちは、独裁政権打倒につながる発火点となった事件を現在に伝えようとしている。
 大学の制服を着た学生300人は12日、ジャカルタの目抜き通りタムリン通りを行進し、大統領宮殿前で4人を追悼する集会を開いた。ホテル・インドネシア前ロータリーでは、治安部隊に学生が射殺される様子を再現する寸劇を披露した。
 「1998年の事件の本質に立ち戻らなくてはならない。4人の先輩は自分たちのためでなく、インドネシアのために死んだ」。トリサクティ大法学部のレダ・クスワラさんは力を込める。
 事件当時、スハルト退陣を訴える学生デモは、キャンパスから出ることさえ禁止されていた。5月12日朝、キャンパス内でスハルト辞任を訴える集会が開かれた。この後、3キロ南の国会議事堂へ向かおうと、キャンパスから出たところで治安部隊が制止。交渉は夕方まで続いたが決裂した。
 学生たちがキャンパス内に戻ろうとした際、グロゴル立体交差の上や、キャンパスの塀の外から、学生たちに向けて一斉に銃撃が始まった。4人が射殺された場所はキャンパス内部。うち2人は中庭で、隣接する建設中のビルの屋上から狙撃兵が射撃した。
 スハルト政権崩壊後の1999年、実行犯として、コパススのバラ部隊の11人が軍事法廷で裁かれた。だが実弾を使用し、学生射殺を命じたのは誰か。15年経ても事件の全容は闇の中だ。
 先輩の遺志を継ぐ学生たちは「私たちは首謀者が誰かを知りたい。真相を明らかにすべきだ」と訴えている。(赤井俊文)

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