現代に息づく外交基軸 スカルノ資料・博物館 展示写真が物語る歴史
民族主義を国民の魂に訴え、長い植民地時代に終止符を打って独立を勝ち取ったスカルノ初代大統領。「建国の父」といわれるその生涯を記録する博物館が7月、西ジャカルタにある中華街の一角に完成した。「なぜ、今になって?」。大統領府直轄の施設なのだから何らかの広報があって然るべきだが、地元メディアを探っても情報は少ない。であればまず、足を運んでみることにしよう。
博物館の存在を知ったのは、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ夫人への単独インタビューから。スカルノ氏の第3夫人となったデヴィ夫人は開館直後に施設を訪れ、「足を運んでインドネシアへの理解を深めて欲しい」と邦人社会に呼びかけた。
関係者の協力を得てようやく見つけた「インドネシアの父、スカルノ資料博物館」。ガジャマダ通りにある「国立公文書館」の敷地内にあった。公文書館といってもオランダ植民地時代の話。現在は記念館として保存され、警備員によると、結婚式の会場などとしても利用されているそうだ。
さて、博物館だがデヴィ夫人が言うようにモダンなデザインで、雑然とした周囲の街並みとはまるで別世界。しかも、展示物をただ並べた博物館ではなく、デジタル技術を駆使してテーマを整理し、史実を踏まえた公平感のある内容に仕上げた印象を受ける。
最上階の4階は、1901年にスラバヤ市で生まれたスカルノ氏の出生に始まり、70年に永眠するまでを「私人」として記録。そこには「少年・スカルノ」がおり、農作業をする姿があり、母、イダ・アユ・ニョマン・ライ氏にひざまづく写真もあった。
順路に沿って進むと、スカルノ氏が反植民地運動に傾倒していき、オランダに逮捕されて投獄される時代を映し出す。太平洋戦争に突入すると、日本軍政下で日本はスカルノ氏が率いる民族主義勢力と連携。スカルノ氏は解放され、前田精海軍少将の支援で独立宣言文を起草するを様相をインドネシア社会の内側から描き出す。
館内の各コーナーはテーマごとに整理されており、個人的に興味深いのは1949年のハーグ協定で名実ともに独立を勝ち取り、国内を束ね、スカルノ氏が「第三世界のリーダー」として外交舞台に立つ時代だった。
そこにはインドのネルー、中国の毛沢東、エジプトのナセル、そしてアジア外交に注力した日本の岸信介らと交流を重ねる記録が並ぶ。
反帝国主義、反植民地主義を旗印に米ソ二極体制と対峙し、非同盟主義に基づく平和共存を訴えたスカルノ氏。「その外交基軸は現代も息づいている」。別れ際に博物館の解説員が放った重い一言が心に染みた。(長谷川周人、写真も)