港町に漂う貧困層の悲哀 北ジャカルタ タンジュンプリオク駅

 国際物流の窓口であり、海軍の拠点ともなる港。洋の東西を問わず、いつの時代も港町には独特の活気とドラマがある。北ジャカルタのタンジュンプリオク港も植民地時代から栄えた国際貿易港だ。しかし、周囲には貧しい人々の居住区が広がり、時代から取り残された貧困層の悲哀が漂う。コロナ禍を経た今、どんな表情を見せているのか。港を内陸と結ぶタンジュンプリオク駅を訪ねた。

 1970年代のタンジュンプリオク港は、昼と夜とではまるで別世界だった。当時のジャカルタ知事、「バン・アリ」ことアリサディキン氏の旗振りで貿易港としての機能が強化される一方、夜は身を売る少女たちの町に様変わり。多くは中学生だった筆者と同世代で、自分の置かれた境遇をほとんど理解していない。家族を助けたい。その一心だった。にもかかわらず、悲壮感はなく、彼女たちが見せる屈託のない笑顔に胸が締め付けられる思いをした。
 そんな極貧状態にあった当時と違い、駅前のバスターミナルは賑わっていた。屋台が並び、人々は豊かさを享受している。アイスクリームを父親にねだる子どもにも出会い、少しほっとした。
 駅構内に入ると、鉄道マニアのグループがいた。西ジャカルタのコタ駅につながるこの路線は、線路が老朽化して1989年に廃線となった。しかし港湾労働者の通勤の足を確保しようと2015年、26年ぶりに運行を再開。コロナ禍を経た今、「周辺の再開発も進み、鉄道ファンの間で静かなブーム」だそうだ。
 そんな鉄道談義を撮り鉄青年たちとしていると、KRLコミューターラインが入線してきた。車両は東京メトロが譲渡した旧千代田線6000系。日本の鉄道マンが伝えた「指差喚呼」も根付いている。日本人の1人として、誇らしく思えた。
 駅舎から出てからは徒歩で港湾内の貨物駅に通じる引き込み線に向かった。すると幸運にも最徐行運転のコンテナ列車に遭遇。夢中になってシャッターを切っていると、違法住宅が密集する貧困地区に迷い込んでいた。笑顔の住民もいるが、刺すような目線も感じる。写真機材は丸出しで、予期せぬトラブルに巻き込まれても困る。早々に退散した。
 駅前に戻って一休みしていると、若い女性が声をかけてきた。「2000ルピアほしい。水が飲みたいの」。やせ細って老けて見えるが、20歳代だろう。話を聞くチャンスだが、あいにく持ち合わせがない。そこで1万ルピア札を渡すと彼女は右手に左手を添えてうやうやしく受け取り、姿を消した。
 物乞いとも思ったが1分後、彼女はつりの8000ルピアを持って戻ってきた。そして水を一口飲み、初めて笑顔を見せてくれた。
 帰り道、近くに完成したジャカルタ国際スタジアムの横を通った。アンチョール公園には新たなサーキットも完成。週末でもあり観光客で賑わっていたが、その光景は鉄道沿線で暮らす貧困層の世界とはギャップが大きすぎた。
 身を売る少女たちと出会ったあの日々からすでに半世紀近く――。なんともやるせない思いを背負って帰路についた。(長谷川周人、写真も)

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