「世界は広い」という現実 日本語パートナーズ 第2の母校へ極秘訪問
東南アジアなどの日本語教育支援を目的とする国際交流基金の「日本語パートナーズ(NP)」。その一員として年初に約3カ月間、地方の職業訓練校に派遣された。コロナ禍で派遣延期となり待つこと2年。待望のNP活動だった。そして派遣が終了してからというもの、生徒や先生に再び会いたいという気持ちを抱えていた。そこで思い立ったのがサプライズ訪問だ。警備員と副校長先生にのみ再訪を伝える極秘訪問を執行した。
派遣先は西ジャワ州バンドン県チマヒ市の第1国立職業訓練高校。じゃかるた新聞に就職する前の今年1〜3月だった。
極秘訪問を決行したその日、正門の警備員が私の顔を見るなりはじけるような笑顔を向けてくれた。「誰も私のことを覚えていなかったらどうしよう」という不安が一瞬で消え去った。
次に、派遣期間中に最もお世話になった日本語の先生の元へ顔を出した。あの瞬間、世界で1番驚いていたのは彼女だったと思う。
また、帰校途中の生徒たちが私の元へ駆けつけてきて「どうしているの!?」「なぜ!?」と喜びと戸惑いが入り混じった表情をたくさん見せてくれた。
そして、最も仲が良かった生徒と対面した。生徒には「今度サプライズがあるよ」と事前告知をしておいた。驚きと共に生徒は「なぜこんなに大切なことを黙っていたんだ」と言いたげで、大人げない私は大変満足した。
大成功に終わった再訪は、懐かしさやインドネシア人の温かさを感じたと同時に寂しさもあった。なぜなら、もうNPとしてこの学校の教室に立つことはなく、生徒と私はそれぞれの場所で目標に向かい頑張らなければいけないと再認識したからだ。
NP活動中に心掛けていたことがたくさんある。異文化接触の機会を増やすため、あえてインドネシア語を使わないようにしたこと。私の1つの行動で日本の印象が良くも悪くもなること。生徒と話すとき「今日が最後かもしれない」と思い真摯に向き合ったこと……。
その中でも生徒に気づいて欲しいことがあった。それは「世界は広い」ということだ。
「学校は教室という小さな箱に押し込まれ、個性が認められない。みんな同じじゃないと排される」と生きづらさを感じる生徒にとって、今、生きている場所はすごく小さな場所で、どこへだって行けることを知ってほしかった。
しかし、私がどこへだって行けると考えられたのは教育・福祉制度が整っている日本に生まれたからだと気づいた。同校で最も日本語が流暢な生徒と進路の話をした時、彼は「高校卒業後は就職する。母親に家計を支えてほしいと言われたから」と、諦めと未だ見ぬ知識を渇望しているような声音で言った。
私はとても悔しく苦しい気持ちになった。なぜなら、お金だけが足りなかったからだ。彼は中学から独学で日本語を勉強していて勉学の才能、実力、性格、全て満点なのにお金だけが足りなかった。
一方、親の収入が多ければ全て上手くいくかというと、そうではない。塾や外国の大学へ行きたいと思えば簡単に叶うが、多くの子どもは仕事が忙しい両親に放置され、親から愛されていないと感じている。そして、たばこやお酒に手を出してしまったりする。家族愛が強いインドネシアではどれほど辛いことだろう。
格差社会はこの国の根源的な問題だが、誰もが平等に自由に教育が受けられる環境が一刻も早く整うよう切に願った。(青山桃花)