メディアと政治と報道の自由

 今月3日、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は、今年の報道自由度ランキングを発表した。180カ国のうち、インドネシアは昨年113位から4ランク下がって117位となった。コロナ禍でメディアに対する政府統制が抑圧的だったと指摘された。
 確かに、コロナを建前とした報道規制は懸念されよう。ただ、報道の自由と政治の問題はもっと根深く、構造的だ。
 そもそもスハルト時代は報道に自由はなく、検閲は日常だった。民主化して1999年に報道に関する法律ができ、政府規制が大幅に解除された。この報道の自由化で、すぐに新興メディアが伝統的な報道界に参入した。コンパスやジャワポスといった昔からの印刷メディアに対し、Detik.comなどのデジタルメディアが攻勢をかけた。2000年代前半は、このデジタル革命によるメディアの競争時代を象徴していた。
 しかし、この新たなメディア業界を財閥が吸収していった。そもそも通信インフラの整備は高額だ。それを担保できる財閥が、中小の放送局や出版社を傘下に収めていった。先のDetik.comも大富豪のハイルル・タンジュンが吸収した。こうしたデジタル・コングロマリットが発展し、メディア業界は2010年代には競争から寡占的支配に変容していった。
 こういう時代の「メディア王」として名高いのが、TvOneのアブリザル・バクリやMetroTVのスルヤ・パロだ。どちらもニュース専門局で、政治影響力が大きい。また、エンタメ主体のTransTVやTrans7、さらにはCNNインドネシアを持つタンジュンや、MNCグループ率いるハリー・タヌスディビョも大富豪のメディア王となった。
 そういう彼らが、直接的に政治に参与するようになる。ユドヨノ政権では、バクリはゴルカル党首となり大臣も務めた。タンジュンも大臣に抜擢された。これを見て、パロとハリーは自ら政党を作って党首となった。こうして政治権力とメディア権力は融合していった。
 彼らが衝突したのが14年選挙だ。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)陣営についたパロ、逆にプラボウォについたバクリ、ハリー、タンジュンという構図だった。勝ったパロは、連立与党の党首として、ジョコウィ政権を支えてきた。MetroTVも政権批判を潜め、その方針に不服な人気番組Mata NajwaはMetroTVを飛び出した。
 一方、負けたバクリはゴルカル党首から引きずり降ろされ、政治力も失墜した。傘下のTvOneやANTVも政権圧力を恐れ、大統領批判を抑えるようになった。
 ハリーも、突如、警察が過去の事案を調べるという圧力を受け、ジョコウィ政権に寝返った。すぐにMNCグループの報道も政権に好意的になった。見返りに、ハリーの長女は観光・創造経済副大臣に抜擢された。
 同じように、ジョコウィはタンジュンの長女を大統領特別スタッフに任命した。結果、タンジュン傘下のメディアも、政権批判には慎重になった。
 このように、アメとムチでメディア王を懐柔し、メディアを政治権力に追従させているのが今の実態である。この構造こそが、主流メディアの骨太ジャーナリズムと報道の自由を萎縮させている。国境なき記者団による報道自由度ランキングの低下は、この問題と無関係ではないであろう。(本名純・立命館大学国際関係学部教授)

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