待ちに待った聖なる月 制限なく礼拝できる幸せ ラマダン

 イスラム教徒である私たちにとり、待ちに待った聖なる月、ラマダン(断食月)がやってきた。ラマダンは日本人にもわかりやすく言えば徳を積む〝ボーナス月〟。コロナ禍で異例ずくめとなったこの2年だが、今年はさまざまな礼拝の制約からも開放された。本来の姿に戻り、信仰を深めていきたい。

 イスラム暦の9月を意味するラマダンは、預言者ムハンマドにコーランが啓示された「聖なる月」。この約1カ月は日の出から日没まで、飲食だけでなく、喫煙や性行為も禁じられる。怒ることを慎み、欲望に打ち勝って自らを制御する期間であり、イスラム教に課された義務の「五行(信仰の告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)」のひとつだ。
 インドネシア語では「プアサ」と呼び、1日の流れをみると、断食は日の出とともに始まるから夜明け前に家族で囲む食事、サフールでその日が幕開ける。日没後のブカプアサ(断食明け)を迎えると、イフタールという食事が始まる。極度な空腹状態だから、一気に食べれば体に負担がかかる。まずは水を飲み、ナツメヤシの実やココナッツミルクで作るコラックなど、甘みのあるものを口にすることから始まる。
 正直に言いたい。私はラマダンのたびに思う。飲食を絶つのは決して簡単ではない。インドネシアではこの時期に季節が雨季から乾季に入れ代わり、日差しが照りつける中で行う断食には覚悟が必要だ。私の場合、食べないことは堪えられるが、猛暑の中で水を絶ち、喉の渇きに打ち勝つのがとても辛い。
 「なぜ、そんなに苦しい断食をするの?」「日没後に食べても断食なの?」「そもそも断食はなんのため?」「イスラム教の戒律って厳しいよね」
 大阪留学をしていた時、日本の友人たちは断食をする私にこう言って首を傾げた。繰り返しになるが断食は義務だ。欲望を乗り越えてイスラム教徒であることを自覚し、貧しい人々や飢えた人々への思いやりを養う精神修養ともなる。
 だが、こう説明しても友人たちは知識としては知っているから、納得はしない。義務も目的も理解できるが、なぜイスラム教徒たちはそんな難行苦行を待ちわび、聖なる月に感謝するのか、わからないという。もっともだと思う。
 だから私はこう答えていた。「ボーナスをもらえるから」と。
 神は人の善行と悪行を見極め、生前の善行が勝れば「最後の審判」で天国に導かれる。そこで人は来世に向けて善行の徳を積もうと考える訳だが、ラマダン中の礼拝、そして「サウム(斎戒)」により、過去の罪が許されるという。
 「ライラトルカドル(みいつの夜)」。それはラマダン最後の10日間の奇数日で、ムハンマドの最初の啓示が下った夜。どの日かは知らされないが、ラマダン中の善行は通常の数カ月分、さらにこの日は1000カ月分の徳を重ねたことになるといわれる。
 すべては教えに沿った私の解釈だが、モスクでの集団礼拝も連帯を強める本来のやり方に戻った。ラマダン中の夜の礼拝、「タラウィ」もレバラン(断食月明け大祭)帰省も認められる。コロナ禍に翻弄されたこの2年だが、気を引き締めて今年のラマダンを過ごしていこう。(センディ・ラマ)

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