衰退する香料貿易 VOCの経済破綻

 農園主は、火山の爆発、地震、津波、嵐などで被害を受けた時には、オランダ東インド会社(VOC)に借入を依頼するのみならず、既存の負債の減免を頼まざるを得なかった。VOCは彼らにスパイスを依存していたので、特に無能な農園主を除いて、要求に応じざるを得なかった。ところが、農園主はナツメグの生産事業に再投資するよりも、ネイラの町の邸宅に金を費やした。
 大理石の床、明るい色とりどりのタイル、クリスタルのシャンデリア、西欧風の優雅な家具、上等な鏡で飾りたてた豪華な邸宅を持つことを競い合っていた。一方では、この地は大変不健康なところで、脚気、赤痢、むくみ、肋膜炎、マラリア、コレラ、天然痘に悩まされ、年間を通じて軍や民間の病院で過ごす者も多かった。ヨーロッパには万能薬として輸出されていたナツメグの軟膏や石鹸は、この原産地では特効薬とはならなかったのであろうか。
 バンダネイラで目に見える脅威としては、ネイラ島に隣接する火山島の中核である火山があった。絶えず噴火を繰り返している活火山でバンダネイラの町を廃墟と化す恐れがあった。この火山は、水中深くから650メートルの高さまで美しいシンメトリックな山で、バンダネイラの町から数百メートルの至近距離にあった。1599年にオランダ人が最初にバンダに来た時に大規模な噴火をしており、それから3世紀もの間、しばしば噴火している。
 噴火と同時に起こる地震や津波、そして嵐が被害をさらに大きなものにし、住居やスパイスの倉庫を襲った。農園では、強い太陽光からナツメグを保護する大きなカナリの木が根こそぎ倒れ、ナツメグの木は枝や実がもぎ取られた。有毒ガスの被害も大きく、新参者たちを恐怖に陥れた。17世紀で特に被害が多かった年が1615、29、38、91、93年であった。18世紀には自然災害は少なくなったが、これまで被った厳しい災害のため、バタビアのVOC本社はバンダでの事業を縮小することを真剣に考えるようになった。
 1777年に東インド全体の総督となったレニエ・デ・クラークが、バンダ総督を務めた時代(1748~54年)に、VOCは最も効率よく、人道的な経営に成功したとの評価を得ており、農園の生産性はこれまで以上に高まった。しかしながら、バンダでの仕入れ価格の60倍もの値段がアムステルダムで付くようになっていたので、農園主がナツメグ・メースを横流ししたり、資金を横領するようになっていたことをVOCは見抜けなかった。VOCは理由が良くわからないまま財務状況が悪化していったのだ。クラークがバンダ総督を務めた後、VOCの経営状態は下降線をたどり、ついに1799年に解散を余儀なくされた。
 1629年のクーン総督の死から1世紀の間に、東インド諸島でのVOCの富は絶頂期を迎えた。その後、衰退の道を下っていくことになる。VOCが見せつけた富と力は実態を表していないと見破った人たちには、衰退に向かうことは分かっていたようだ。VOCは1世紀半にわたって膨大な配当を払ってきた後、1200万ギルダーという巨額の負債を抱え1790年代には破綻状態に陥っていた。これは、VOCの最も繁栄した時代にさかのぼって徐々にはびこってきた悪習の積み重ねによるものだと主張する経済学者もいる。
 赤字を黒字に変える会計上の錬金術は、VOCにのみに見られるものではなく、原価計算を正確にすべきという基本的な会計原則を無視していることによる。このことは、もともとプロの「会計士」であったクーンは良く知っていたはずだ。VOCは艦隊や要塞(ようさい)の人件費を勘定に入れていないし、価格を上げるために供給を制限するということがライバル会社や自社のスタッフをもだますことになることを分かっていなかった。このようにしてVOCの巨大な利益と力は、下り坂を転がり落ちていくのである。(「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」=宮崎衛夫著=より)

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