移住民がナツメグ生産 VOCが新システム導入

 オランダが大多数のバンダ住民を殺りくし、一部の住民は別の島に逃亡したため、クーンはバンダで手にしたものは、ほとんど働き手のいない非生産的な島であることを知り、次の計画に着手した。バタビアに戻り、バンダ諸島へ移住を希望する者を募った。バンダに一生住み着き、オランダ東インド会社(VOC)のためにナツメグを生産する意志のあるものに限るという条件を付けた。こうして新しいナツメグ農園の経営システムを確立していくことになる。
 VOCの募集に応じ、すぐにバタビアに住む多くの「自由市民」から希望者が応募してきた。自由市民とはVOCの軍隊や貿易部門との契約雇用期間を過ぎたが居残っていた人々のことである。その中から68人の人が選ばれ、バンダ諸島は小さな区画に分けられた。生き残っていたバンダ原住民はナツメグ栽培を指導するよう強制された。いわば新たな農園主となった68人はVOCと契約を交わした臣下として扱われ、土地の管理、決められた価格での作物の引き渡しが義務付けられた。
 香料栽培に利用されない土地にココナツを植えること、近海で漁業をすることの権利はオークションで決められた。収入源は香料だけではなかったのである。VOCは全ての香料を買い付けるだけでなく、米は原価で、他の輸入必需品は原価+6%の税金を取って供給することを約束した。農園(プランテーション)で働く奴隷を提供することも約束した。また、外敵(特にイギリス)や島内の暴動(奴隷による)に対する警備もVOCが引き受けた。
 耕作地は68区画の「Perken (条件付き使用権が与えられたナツメグ農園、プランテーション。以下「農園」とする)」に分割された。ロンタール島に34、アイ島に31、ネイラ島の3区画であり、これらを34から68の「Perkenier(前述の認可を受けた土地の使用権を与えられた農園経営者ともいうべき人で、一つ以上の農園が認められることもあった。以下「農園主」とする)」に分け、1農園当たり25人の奴隷が与えられた。良質のナツメグのアムステルダムでの価格は、VOCがバンダで払った値段の122倍にもなった。農園主は自分たちが受け取る金額は、VOCが以前に払っていた水準より少ないとクレームをつけていた。
 VOCと農園主の間には、金銭的な取り決めについてきっちりした契約はなく、常に双方の間で誤解が生じ、農園主の要求に応じ条件面での変更を余儀なくされていたようだ。土地に対する農園主の権利が、借地権か条件付き所有権か、その土地を農園主が手放そうとしたり、担保に入れる時には、VOCはどこまで法的に関与することができるのか、また農園主が亡くなったとき、次の世代への遺贈はどうなるのか等々などなど、いずれも不透明であった。
 VOCはわずかな手付金を払って全ての作物を引き渡すように要求したので、農園主の間では常に搾取されているとの不満があった。さらに、VOCは米や布や他の必需品を低価格で充分に提供することができなかった。1区画当たり25人の奴隷を供給すると決められていたが、その履行も不充分であった。(「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」=宮崎衛夫著=より)

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