非暴力の人

 照りつける日差しの中で、黒光りする裸の上半身の群れがおどる。22日、ジャカルタの大統領宮殿前で、サル呼ばわりされた差別に怒る、パプア地方出身の若者たちがデモをし、パプア独立の是非を問う住民投票の実施を、公然と要求した。体やプラカードには、赤地に星、青いストライプが描かれている。独立を目指すパプア住民が「国旗」とする「明けの明星」旗だ。
 旗を眺めながら、あるパプアの長老を思い出した。テイス・エルアイ。ジャヤプラ近郊の先住民部族を束ねる人物。スハルト独裁体制崩壊後の2000年ごろ、「独立回復」を目指す「西パプア評議会」の議長として、この旗を掲げる非暴力運動をリードしていた。
 旗は、オランダ統治下にあったパプアで1961年12月1日に、独立派が掲げたと伝えられる。その後、パプアを併合したインドネシアにとっては、NKRI(統一国家)の分裂を目論む敵の旗。今も非合法化されており、テイスの時代も、旗を掲げようとした先住民が治安部隊に射殺されるといった事件が相次いだ。
 パプアに取材に行くと、毎度のようにテイスの家を訪ねた。スハルト体制与党の州議会議員を15年間務めたという経歴から、本気で独立を考えているのか、眉につばを付けながら取材していた。「小さいころ、『白人』に風呂に入ることを教わった。日本兵にな」などという語り口に親しみを感じながらも。
 テイスが変わったな、と思ったのは、2000年11月に、ほかの非暴力路線の独立運動指導者4人とともに逮捕され、01年3月に保釈された後だ。政府転覆予備罪の初公判の人定質問で「国籍はパプア」と胸を張った。取材に「警察の小さな留置場に入れられ、(保釈後は)今度はインドネシアという大きな監獄に収容された」と、それまでにない先鋭な言葉を発した。「これは闘争であり、死ぬ覚悟もある」とも。
 言葉は現実となった。私がパキスタンに出張していた01年11月に、テイスは殺された。64歳だった。ジャヤプラの陸軍特殊部隊司令部で開かれた夕食会に誘い出され、帰りに行方不明になり、遺体と車が林で発見された。
 インドネシアに戻ってから、自宅を訪ねると、テイスの妻は、夫の死に様を「顔は黒くなり、舌を出していました。なぜ動物のように殺し、投げ捨てたの」と訴えた。テイスを殺害したとされた現地の特殊部隊の指揮官と部下計5人は、除隊処分となった。
 インドネシア政府が、独立を望み、非暴力で思いを表現することを「政府転覆予備」と考え、そうした住民を根絶すべき「敵」と見なすならば、同様の殺人は繰り返されるだろう。非暴力の道が閉ざされたならば、どんな選択肢が残されているのか。(編集委員・米元文秋、写真も、ツイッター@yonejpn)

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