【火焔樹】お前がバカヤロー
じゃかるた新聞の連載・実習生「人間改造」(上)を読んだ。小学生のころ、授業中に先生に身が入っていないと叱られて、罰としてバケツを持って廊下に立たされたことがあった。先生は良かれと思ったのだろう。
しかし、必ずしもあのときの体験があったから今の自分があるとは思えない。逆に、特殊な日本の精神性を教育の名のもとに刷り込まれたようで、大人になって日本とは違う環境の中で暮らすことになった自分にとって苦しいと感じるときもある。大人になった自分がどうなろうと自分の責任で、誰の責任でもないのだろうが、内面の奥深くまで入り込んだ教えから脱却することは難しい。
「バカヤロー」と言われたら、「すみません」と答えるように教えられているという。自分自身も職場などで何度も浴びせられた言葉だ。一度言われたくらいでひるんでいたら仕事にならない。僕も歯を食いしばって耐えてきたこともあった。
だから、これも日本でしっかり働いて生き抜くための術を良かれと思い教えていたのだと思う一方、バカヤローありきでバカヤローと言わなければ仕事ができないのかと思うと、受け入れる企業側にも教育を施すことが必要ではないか。
そもそも日本には愛情のあるバカヤローとそうでないバカヤローがあり、初めて日本語を学ぶ外国の人たちにはそれを見分けるのは至難の業だと思うと、文化の違いを丁寧に教えてあげることが先決だと思う。
自分自身、お掃除クラブの活動を通してポイ捨てが恥と訴えてきたのは、日本の教育の良い面が生きたと信じているが、日本の特殊な精神性を強調してインドネシア社会に物申したことがあったのは、素直に反省しなければならないと思っている。
あるインドネシア人実習生に聞いた。「バカヤローと言われたことがあるか?」「ある」「で、どうした?」「ルー ヤン ゴブロックと言い返した」「それ何?」と相手は聞き返したので「お前がバカヤローだ」と答えたら、笑いに包まれたそうだ。(ジャカルタお掃除クラブファウンダー デワント・バックリー)