伝統の味をイで生産 さつま揚げ工場が操業 鹿児島の老舗「有村屋」

 創業101年を迎えるさつま揚げの老舗「有村屋」(本社・鹿児島市)のさつま揚げ工場がこのほど、西ジャワ州ブカシで操業を開始した。同社のインドネシアでの事業は約4半世紀ぶり。インドネシア産の魚のすり身を加工した、完全インドネシア産のさつま揚げを製造する。国内だけでなく、米国や豪州市場への輸出も視野に入れ、インドネシアを拠点に「鹿児島の味」を世界に広げようという取り組みだ。

 有村屋は日系食品卸のますやと合弁会社、有村屋インドネシア社を設立。今年1月に製造を開始した。材料のすり身を、本社工場でも採用している中部ジャワの日系すり身工場から取り寄せている。インドネシアの海でとれたイトヨリダイやキントキダイのすり身に、枝豆を混ぜた「えだまめ天」、サツマイモを混ぜた「サツマイモ天」など7種を生産する。具材はいずれもインドネシア産。
 イスラム指導者会議(MUI)のハラルの認証を取得し、インドネシア全土で販売する。有村屋の有村興一社長は「インドネシアには、バッソ(肉団子)など練り物の食べ物が浸透している。良いさつま揚げを作れば受け入れられる素地がある」と市場開拓に意欲を示した。
 有村屋はこれまで、弾力性や独特の甘味が好評を得て、米国や台湾、シンガポールへ日本から年間100トンを輸出している。円高対策でインドネシアを海外への輸出拠点と位置付け、米国や豪州市場への供給を見込む。ブカシ工場でも日本と同様、国際的な衛生管理基準のHACCPの認証も取得した。将来的に1日2トンの生産を目指す。

■4半世紀を経て国産化
 同社とインドネシアのつながりは、1980年代前半に日系商社の南洋コマース社の日高輝夫氏が、当時高級スーパーだった「ヘロー」のサレ・クルニア社長に、故郷鹿児島の名産さつま揚げを売り込んだことから始まる。
 85年ごろインドネシアに輸入された有村屋の「棒天」「ごぼう天」は、1パック1200ルピア。当時のレートで120円ほどだった。
 日高社長の強い要望を受け、有村屋は86年に技術指導者をインドネシアに送り、日本から輸入したすり身を使い、西ジャワ州チマンギスにあるヘローの工場内で製造を始めた。できたさつま揚げは店頭で試食販売も行い、良い反応を得ていたという。
 91年ごろには、国内初の魚のすり身工場を作り、有村屋のさつま揚げを完全現地生産化しようという話が持ち上がった。しかし、発起人のクルニア社長と日高社長が92、93年、立て続けに急逝。93年にヘローの工場も火災で焼失し、有村屋のインドネシア事業は潰えてしまった。
 その後、15年以上が経ち、当時から有村屋社長を務めている有村興一さんと、当時日高社長の部下だった市原和雄さん(現ますや社長)が再びさつま揚げのインドネシアでの生産に向け動き出した。
 「有村屋を高く評価した先人2人の思いを引き継ぎたい」と有村社長は力を込める。4半世紀以上の時を越え、「鹿児島の味」をインドネシアで再現することを決意した。
 さつま揚げは現在、ますやグループの日本食スーパー「パパイヤ」の全店で取り扱い中。今後、「フードホール」など高級スーパーに販路を広げ、飲食店にも卸していく。
 近年、円高対策や食材の安定供給の観点から、ますやは日本食の食材の現地生産化や現地調達に力を入れている。老舗みそ製造の宮坂醸造(本社・東京)と合弁でみその生産も計画している。(堀田実希)



※追記(2013年3月8日)
「日高照夫社長」は「日高輝夫社長」の間違いでした。お詫びして訂正します。

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