思いは共通「懸け橋に」 沖縄の「父」、挙式で涙 【甦る縁 沖縄と北スラウェシ】(第5回)

 今年2月上旬、東ジャワ州スラバヤ。この日、あるインドネシア人男性とブラジル人女性が結婚式を挙げた。2人はともに沖縄の血が流れている日系4世と3世だ。
 新郎はマデ・インドラ(26)。曽祖父は沖縄県国頭郡本部村(現・本部町)出身で、戦前にカツオ漁業を営むためにセレベス島(現・スラウェシ島)に渡った。新婦はアナ・ナカモト(仲本、26)。祖父母は、ブラジルに渡った沖縄出身の農業移民だ。
 インドネシアとブラジルで育った2人はそれぞれ、沖縄県民の子孫として、「沖縄との懸け橋になりたい」という共通の思いを持っていた。そして、インドラは留学生、アナは浦添市の研修生として祖先の地である沖縄に渡った。
 2人は互いに通っていた那覇市の語学学校で偶然知り合い、交際を始めた。祖国への思いが、沖縄の子孫である2人を引き寄せたのだった。

■そば屋で出会い
 挙式中、金城力人(67)はずっと涙ぐんでいた。金城は、沖縄に留学していたインドラを我が子のように世話した。インドラは金城を「沖縄の父」と呼ぶ。
 金城が北スラウェシの子孫たちと関わりを持ち始めたのは、今から10年近く前だ。
 2003年、沖縄県島尻郡南風原町。金城は沖縄そば屋で昼食を食べていたとき、沖縄水産高校で働いていた教師時代の同僚・長崎節夫(69)に、20年ぶりにばったり出会った。
 長崎「お前、今は何をしてるか」。金城「退職してから時間はあるさ」。長崎「インドネシアで亡くなった先輩方の墓作りを手伝ってくれ」。長崎はそのころ、北スラウェシに住み、戦前に現地で亡くなった沖縄県人の墓を整備する計画を立てていた。
 マグロ漁船に乗った経験がある金城は、インドネシアを含む東南アジアには土地勘があった。「あーいーさ」と二つ返事で引き受け、日本人墓地の整備に協力していくことになった。

■白髪の生え方
 04年、共同墓地が完成した後も、金城と北スラウェシのつながりは続いた。
 墓が出来上がり、金城は沖縄から親族や関係者を連れて北スラウェシを訪れ、現地で慰霊ツアーを行った。その最中に、インドラの祖母に当たる沖縄2世のタマシロ(玉城)・タマエコ(76)とその子孫たちに出会った。
 タマエコは本部出身の沖縄漁民の子で、彼女の父が北スラウェシで病死した後、沖縄との縁は消えていた。「先輩方の子孫のために、何かできないか」。金城は長崎とともに、親族探しを進んで引き受けた。
 そして05年、金城らの尽力で沖縄とビトゥンの玉城(タマシロ)一族が、那覇空港の到着ロビーで対面を果たした。金城によると、タマエコと沖縄の親族は白髪の生え方が全く一緒で、すぐに互いの存在に気付いたという。
 半世紀を超え、またつながり始めた沖縄と北スラウェシ。「その縁を途切れさせないよう、力になっていきたい」。金城のその思いは、日増しに強くなっている。(敬称略 岡坂泰寛、写真も、おわり)

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