【選挙戦を追う―6党激突 2012年首都知事選?】 雪辱戦、汚職一掃訴え 初の独立候補ファイサル氏

 選挙カーの中で物静かに語った。「汚職一掃は独立候補だけが可能」。インドネシア大の経済学者として、強い発言力を持つファイサル・バスリ候補。「政党の推薦は汚職との心中を意味する」。ジャカルタ特別州知事選で掲げた最優先公約を強調した。
 先月28日午前8時、北ジャカルタ地区の下町。ファイサル州知事候補はサンダル姿の軽装で姿を現した。選対チームはわずか十数人。選挙カーは、スピーカーを載せた小型トラックとキャンペーン用に改造した小型の公共バスの2台だけだ。
 くじ引きや無料医療相談などで票集めを画策する他候補と比べ、同候補の選挙キャンペーンは質素に映る。「販促品」はステッカーのみ。タブロイド版の自作新聞「独立候補」(16頁)とともに、選対チームの2人が住民に配って回った。
 「あなたがファイサルさんだったのね」。有権者と握手を交わすために入った路地裏で主婦の集団にからかわれた。警備員のスティントさん(35)は「洪水や渋滞など問題があるが、彼にも解決は難しいのでは」と冷ややかだ。
 政党のネットワークに頼らない選挙戦。他候補に比べて知名度は低く、世論調査で支持率が数%となるなど当選絶望との見方も。笑顔を絶やさず約15分間を徒歩で回り、その後は選挙カーから手を振って回った。
 今選挙は雪辱戦だ。
 1998年から3年間、国民信託党(PAN)で幹事長を務め、2004年に政治団体を設立。07年の州知事選では闘争民主党(PDIP)の推薦で立候補を模索したが、同党がファウジ・ボウォ候補(現州知事)の支持を発表して白紙になった。
 初の独立候補としての州知事選への参加は、5年越しの悲願と言える。首都圏の人口増加問題の解消や周辺地域を巻きこんだ経済成長などの重要性を訴える眼光は、普段のおだやかな表情とは対照的だ。
 同候補の選挙戦での強みは、学生など若者の支持。選対チーム約100人のうち3割は学生で、ソーシャルメディアを使った選挙戦では登録者数などで頭一つ抜け出た。
 副知事候補は、ジャカルタ土着のブタウィ民族で地方代表議会(DPD)元議員のビム・ベニャミン氏。両候補のスローガンは「ともにジャカルタを作ろう」。同民族の厄除け人形「オンデル・オンデル」の頭飾りを選挙カーにくくりつけ、ジャカルタを駆け巡る。初の独立候補としてどこまで票を獲得できるか。(岡坂泰寛、写真も、つづく)

◇ファイサル・バスリ
 1959年、西ジャワ州バンドン生まれ。インドネシア大(UI)の経済学者。85年にUIで学士号、88年に米ヴァンダービルト大で修士号を取得。2000年、故アブドゥルラフマン・ワヒド政権下で経済アドバイザー。00年―05年まで事業競争監視委員会(KPPU)メンバー。スハルト政権下で副大統領や外相を歴任した故アダム・マリック氏の甥。
◇ビム・トリアニ・ベニャミン
 1964年、ジャカルタ生まれ。88年に米デンバー州立大学で学士号を取得。2004―09年までジャカルタ特別州選出の地方代表議会(DPD)議員。伝説的なブタウィ人俳優の故ベニャミン・スエッブ氏の3男で、同氏創設の「ベンス・ラジオ」現取締役。

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