全国で犠牲祭祝う 生け贄と殺と分配 路地裏に一体感広がる

 ムスリムにとって最も重要な行事である犠牲祭(イドゥル・アドハ)の26日、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシア各地のモスクで礼拝が行われた。イスラム暦の巡礼月に約1カ月かけ、聖地メッカ(サウジアラビア)などを巡る巡礼のピーク直後にあたる。富裕層が牛やヤギなどを住民らに配る喜捨が各地であり、地域の一体感を強めた。(道下健弘、写真も)

 中央ジャカルタのカンプン・バリ。昼下がりに路地裏に集まった子ども約100人の視線の先では、牛は静かに草をはんでいる。住民ら7人が共同で寄贈した生け贄(いけにえ)だ。作業を取り仕切るハビビさん(40)は、愛用のナイフに研ぎ棒をかけながら出番に備えている。
 午後1時、牛の両足にロープが掛かる。ハビビさんら男5人が牛を取り囲むと、いよいよと殺の始まりだ。群衆は少しでも近くで見ようと、じりじり前進する。
 男たちがロープを握る手に力を込める。群衆からは「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」の声が上がる。異変に気付いたのか、牛は首を大きく振り、後ろ足をばたつかせ、突進を試みる。低く構え、攻勢に耐える男たち。どよめきながら後ずさりする群衆。なかには泣き出す子どももいる。
 二手に分かれた男が脚と背中を反対方向に引っ張ると、ラグビーのタックルの要領で、牛は胴体を軸に空中で90度回転。800キロの巨体が音を立てて倒れる。3人は牛を踏みつけ、2人は電柱に前後の脚を結束。牛の抵抗は終わった。
 喉元のナイフが頸骨までを滑る。ぽっかり空いた空間からは、鼓動に合わせ、赤い絵の具を溶いたバケツの水を掃き出すように血が流れ出る。大人の手首ほどある気管が吐き出した空気の塊が、断末魔の声となった。
 2メートルほどの距離で見守る子どもは眉間にしわを寄せたり、口を真一文字に結んだりして、なお四肢をけいれんさせる牛を息を飲みながら見守っている。
 絶命した牛は仰向けに置き直され、皮を剥がれる。弾力のある肉はナイフが進むと、はじかれたように皮を離れる。
 解体作業は、脱いだ服を背中に敷く要領で、地面に広げた皮の上で進むため、汚れが着くこともない。四つ脚を空に突き出した丸裸の牛は、手斧が骨を割る音とともに4分割に崩れ落ちた。
 午後2時ごろ、肉はさらに細かく解体するため近くのビニールシートの上に運ばれた。数百グラムずつに分け、近隣住民約100人に配られるという。
 初めての犠牲祭というラカンちゃん(3)は「怖かった」と言葉が少ない。父親のヤシンさん(30)は「食べ物について、いい勉強になったはず。夕食でサテ(串焼き)にするよ」と話した。
 住民によると、裕福な人が、地域の貧しい人に喜捨するのが行事の本来の趣旨という。一方、サリニさん(52)は「取材はいいから、ビニール袋を持ってきなさい」。実際のところ、貧しい人もそうでない人も、よそものも分け隔てなく、祝い、恩恵に預かる祭事になっているようだ。ビニールシートに集まり、和気あいあいと肉を分け合う様子に、路地裏の一体感がにじんでいた。

◇犠牲祭(イドゥル・アドハ)

 聖典コーランの逸話に基づく習慣。息子のイスマイルと協力してメッカのカーバ神殿を建てたとされる預言者イブラヒムは、ある時、口をすべらせ「最愛の息子の命を犠牲にしても神に仕える」と語った。それを聞いたアッラーは「息子を犠牲として捧げるように」とイブラヒムに告げた。悪魔が息子に向かい「お前の父は本当にお前を殺すぞ」とささやいたが、父同様に信仰の厚い息子は悪魔に石を投げて退散させ、父の前に体を横たえた。イブラヒムが息子に向かって短刀を振り下ろしたその瞬間、息子はヤギに変わっていた。二人の信仰心の深さをたたえ、聖地メッカ巡礼の最終日から4日間、犠牲祭が行われている。

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