【火焔樹】 希望のエスクリム

 時間、約束、指示を守らない部下に何度も注意をし、それでも守らないと堪忍袋の緒が切れ猛烈に怒ってしまう。インドネシアでは、こんな時決まって「親にも言われたことがないのに(bapakku aja tidak pernah begitu)」と返ってくる。要するに「何で他人のあなたにそこまで言われなければならないのか」と言う訳である。
 こうなると売り言葉に買い言葉。「そんな親の顔が見てみたい」とやり返す。表現の違いはあれど、ともに自分のことは棚上げし、育った家庭の正当性を訴え、優越感や優位性を保とうとする。人間関係の岐路と思われる場面で親をもじった言葉が存在するということは、それほど親の影響が大きいということか。
 毎朝通勤時に見かけるストリートチルドレンと話をするようになった。この子たちはちゃんとした家庭がない。親の顔も知らない。だから、将来上司に罵倒されようが、常識外れな人に出会おうが、間違っても親をもじった言葉は口にしないだろう。これが良いか悪いかは微妙だが、子どもを虐待したり、生活の糧を稼ぐ道具として扱うこともある両国の現実をみれば、親がいた方が良いとも言い切れない場合があるのはどちらも同じなのに‥。
 「アイスクリーム食べようか?」「アパ・イトゥ・エスクリム?(アイスクリームって何?)」「じゃ今から食べに行こう」。後日また会ったときに、「エスクリム食べたい」と言った。しかし、続けることができなくなるのを恐れ「また今度」とその場を去った。
 以下、作家五木寛之氏の一文「物の考えかたには、相反する二つのことが同時にあって、その両者の間をいったりきたりしながら私たちは真実というものを理解することができるのではないか。希望というのは、片方に絶望があって‥」。ふとこんな言葉を思い出した。
 希望や絶望など知る由もないこの子たちにとって、暗がりにロウソクの光がぽっと灯るような希望を知るきっかけになればと思ったが、それはそのまま絶望を知るきっかけにもなりうる。とてつもない責任の大きさを痛感した。(会社役員・芦田洸)

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