大国の名誉を守れ
旧ソビエト連邦の最高指導者、ニキータ・フルシチョフ氏。米ソ平和共存路線に舵を切り、独裁者スターリンを批判した。中国の毛沢東はこれを「修正主義」と呼んで中ソが対立。中国独自の核開発に火を付けることになる。
この1960年代に先鋭化した政治対立の裏で、フルシチョフは初代インドネシア大統領、スカルノとの交流を重ねたという。
宗主国オランダの残像に苦しみ、国政運営で求心力を失いかけたスカルノは、外交分野で劣勢挽回を試みる。「第三世界の指導者」として1955年にはバンドン会議(アジア・アフリカ会議)を主宰。中国の周恩来、インドのネルー、エジプトのナセルと手を握り、60年代に入ると「反帝国主義」を掲げて西側諸国との対立を深めた。フルシチョフにとって盟友というべき立ち位置にあった。
そんな歴史の舞台裏を象徴するような写真に出会ったのは2年前。メンテンにある1923年建立の古いホテルに泊まった時だった。スカルノがお気に入りだったシガーバーに飾られた一枚の写真に目がくぎ付けになった=写真。
一方、足元ではロシアのプーチン大統領がウクライナへの非道な軍事侵攻を続け、対するジョコウィ大統領は「中立路線」の名の下に対ロ包囲網を強める国際社会の連携とは微妙に一線を引く。いや、そもそも確たる政治信念をもっての外交判断かもわからないが、そう理解されても仕方がない対応に当惑する。
2年前に出会った写真を手に妄想を重ねれば、スカルノなら仲介役に乗り出してロシアを説き伏せ、国際社会におけるインドネシアの指導力を高める。そんな戦略的な選択をするのではないか。もっともフルシチョフはウクライナ出身であり、故郷への爆撃という暴挙はあり得ないのかもしれないが。
なんにせよ、大国インドネシアの名誉が傷つかぬよう願うばかりだ。(じゃかるた新聞=長谷川周人)
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