人生という〝隠し味〟
多くの邦人が巻き込まれ、犠牲となった1945年のスマラン事件。その史実を後世に伝えようと建立された「鎮魂の碑」を10月初旬、中部ジャワ州スマランで取材した。
その際に出会った酒井冨久子さんにジャカルタで再会する機会に恵まれた。酒井さんは、「鎮魂の碑」の建設費が足りないことを知り、日本料理店の経営者として資金集めに東奔西走。舞台裏の立役者だった。
思いもよらず、そのわずか半月後に再会できたのは幸運だった。しかも、酒井さんはサプライズのお土産を用意してくれていた。失敗と工夫を重ねて生み出した塩ラーメンだった=写真。
「材料はすべてインドネシア産ですの。最後の一工夫は私が考えたのだけど、お口に合うかしら……」
再会を果たした南ジャカルタにあるカフェの厨房を借り、丁寧に仕上げた渾身の一杯。香りといい、コクといい感涙ものだった。
酒井さんは京都・西陣の呉服問屋に生まれた末娘。留学生だった亡夫と知り合い、スマランに嫁いだのは76年という。塩ラーメンにはどうやら、半世紀近くスマランで暮らす酒井さんの人生という〝隠し味〟が染みこんでいるようだ。(じゃかるた新聞=長谷川周人)
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