5月暴動から14年 遺族ら被害者を追悼 国軍陰謀説は闇の中

 三十二年にわたるスハルト独裁政権崩壊の引き金となったトリサクティ大学生射殺事件、全国各地で同時多発した五月暴動から十四年が経過した。当時の国軍高官の権力闘争を背景にした陰謀説も明らかにされておらず、被害者の遺族たちは現在も事件の真相究明を訴えている。

 暴動で放火された旧ジョクジャ・プラザ(東ジャカルタ)で亡くなった犠牲者の遺族十五人は十三日、モール・チトラ・クレンデルとなった跡地に集まり、ポンドック・ランゴン共同墓地で犠牲者の死を悼んだ。
 「二十七歳の長女につい最近赤ちゃんが生まれた。息子が生きていたら、同じように子どもが生まれるころかもしれない」。暴動に巻き込まれて亡くなった長男アルピヤンさん(当時十二歳)の母スリヤティさん(五二)が話した。
 照りつける日光の下、暴動の犠牲者が眠る芝生の上で、同じように子どもを亡くした母親たちは鼻をすすりながら泣いた。スリヤティさんは「息子は何の犠牲者だったのか。世間が忘れていく中、生きている限り真相究明を訴えていきたい」と語った。遺族たちは犠牲者のめい福を祈り、墓石にピンクや赤のバラの花びらを撒いた。旧ジョクジャ・プラザでは、全国各地で暴動が同時多発した当時、一カ所の犠牲者としては最大の計二百八十八人が死亡した。

■華人、悲劇語り継ぐ
 華人団体のインドネシア華人協会(INTI)は十二日、中央ジャカルタ・クマヨランの複合商業施設「メガ・グロドック・クマヨラン」で、暴動被害者の追悼集会を開いた。
 略奪に走る市民や放火される商店、店。一階ホールには、暴動発生時の写真や絵が並ぶ。集会は若者たちが中心となって準備した。スディオノ・チュンさん(三六、闘争民主党幹部)は「九八年の惨劇をかみ締めるため、これからも伝えていくことが大事」と話した。

■トリサクティ大で追悼
 五月暴動の引き金となったトリサクティ大学生射殺事件から十四年を迎えた西ジャカルタの同大キャンパスでは十二日朝、射殺された四人の学生の追悼式典を開催。四人の遺影が掲げられ、教員や学生らが出席した。
 その後、学生約四百人は「事件から十四年が経った。この国に人権はあるのか」と書いたプラカードを掲げ、ホテル・インドネシア(HI)前ロータリーから大統領宮殿までデモ行進。同大学生のエリック・ヘンドリアンさん(二四)は「後輩の僕らが語り継いでいく。人権問題を放置してはいけない」と話した。

■残存する権力構造
 五月暴動の真相はまだ明らかにされていない。暴動の渦中、トランシーバーを手に暗躍する男たちの姿があった。中国紙「チャイナ・タイムス」の記者として、ジャカルタの暴動を取材したアレックスさん(五八)は、商店襲撃や略奪が発生する場所で不審人物を多数目撃したという。当時撮影した写真には、暴徒の中に、チェック柄の服を着た人物が必ず写っている。
 人権団体「コントラス(行方不明者と暴力犠牲者のための委員会)」の被害者権利回復・観察部のヤティ・アンドリヤニ代表(三一)は「五月暴動は、スハルト政権崩壊後の権力闘争を繰り広げた国軍幹部によって引き起こされた」と指摘する。
 ヤティさんは「当時の国軍幹部もすでに政界の表舞台に出てきている。レフォルマシ(改革運動)は暴動関与者を不問にしてきた」と強調。三月に全国各地で行われた大規模な燃料値上げ反対デモを挙げ「現在も当時の権力構造が残存しており、政府に圧力をかける団体が存在する」と話した。
 五月暴動の渦中、スハルト氏の娘婿(後に離婚)のプラボウォ・スビアント元陸軍戦略予備軍(コストラッド)司令官は不審な行動を取り、独自の部隊を派遣したと指摘されてきた。国家人権委員会は、被害者らの証言を基に、当時の国軍幹部ら約二十人が暴動を画策した疑いがあるとの報告をまとめたが、最高検は捜査を行っておらず、真相は明らかになっていない。

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