遺族ら追悼の祈り 中部スラウェシ震災1年 「埋まったまま」の子しのぶ

 4800人超の死者・行方不明者を出した中部スラウェシ地震・津波の発生から1年となった28日、被災した各地で追悼行事が開かれ、遺族らが犠牲者に祈りをささげた。行方不明になった子どもをしのぶ親や、消えない被災時の恐怖を語る人々がいた。

 パル市バラロアでは、大規模な液状化による崩落現場の周辺で行事が行われた。参加したバラロア出身の電気工事業、ジュマディルさん(45)は被災時、妻と子ども3人と自宅で過ごしていた。逃げる間もなく崩落に巻き込まれたといい、2歳と8歳の子ども2人の行方が分からないままだ。
 「子どもたちはまだ、あそこに埋まったままだ」と、液状化の現場を見つめる。被災後も自ら現場で捜索を続けたが、遺留品を見つけることもできなかった。「もう見つかることはないだろう」。そう語るジュマディルさんの目から涙がこぼれた。
 仮設住宅で生活しているウィディア・カルティカさん(23)は、1年経った今も被災時のことが頭から離れないという。「近くを車が通って家が揺れると、まだ怖くて外に逃げ出してしまう。一生忘れらないかもしれない」
 パル市役所でも同日、市民が集まり追悼行事が行われた。参加したカワトゥナ在住のジュハ・ジドさん(62)の自宅は震災による大きな被害を受けず、家族も無事だったという。「パルは復興が進んできた。町や学校、役所も平常に戻っている。インドネシアの他の州や、外国からの支援に感謝している」と話した。
 中部スラウェシ州が16日付で発表した資料によると、震災によるパル市、シギ県、ドンガラ県、パリギモウトン県での死者・行方不明者は、大規模な液状化や土砂災害で生き埋めになったと見られる人を含め、計4845人に上る。まだ確認が進んでいない地域もあると見られ、今後も拡大する可能性がある。

■客足戻らぬ市場

 震災で建物や歩道に被害を受けたパル市の伝統市場、パサール・マソンバには商店が戻り、食品から服まで、さまざまな品が並ぶ。一方で、震災発生から客足は遠のき、場内は閑散としている。
 野菜を販売するエディさん(41)は、入荷していた野菜が傷む前に、少しでも売ろうと震災から約1週間後には店を再開した。震災直後から客足は徐々に回復してきたが、「まだ地震前の半分以下だ」という。
 エディさんら食品関係の店舗経営者は、客足が戻らない原因を、震災でパル市内外の多くの人が住居や職を失い、経済的に困窮したことや、ミニバスなどによる市場までの交通網が復旧していないこと、多くの人がオートバイを失っていることと見ている。
 販売する野菜や魚の産地への震災の影響は大きくなく、供給は既に安定しているという。
 市場内にはまだ建物の復旧が進んでいない区画もある。場内で中古服を売っていた6店は、震災時の火事で焼けたままだ。周辺の店舗経営者らによると、焼けたうち1店の店主が地震発生時にコンロに火をつけたまま逃げ、火事が発生したという。
 焼けた店舗の一つを経営していた、南スラウェシ州マカッサル出身のワルナさん(50)は、親族や知人から借金し、約2週間前に市場の一角を借りて新たな売り場を持った。「売り物の服も全部燃え、入荷し直した。政府の支援もなく、このまま客が来なければ生活していけない」と話した。(大野航太郎、写真も)

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