倉庫の教会で祈る 茨城・大洗のインドネシア人

 神社の裏手にある倉庫から流れる賛美歌はインドネシア語だった。28日の日曜の午前、茨城県の港町、大洗町。ここにはインドネシア人のキリスト教会が七つある。伝統の水産加工業を担い、家族で暮らしながら、教会の集いで結びつく「移民社会」が、既に形づくられている。
 大洗町によると、7月1日現在の町の人口1万6802人のうち、外国人は798人。そのうち377人がインドネシア人だ。
 インドネシア人の多くは、北スラウェシ州マナドや、その周辺地域出身のキリスト教徒。太平洋戦争以前の日本人移民や、戦時中に駐留した軍人を祖先に持つ日系人が目立つ。人々は大洗を、第二の古里、「カンプン・マナド・オオアライ」(大洗マナド村)と呼ぶ。
 大洗のインドネシア人教会のほとんどが、集会所などを週末に数時間借りて、礼拝などを行っている。
 しかし、倉庫にある大洗ベツレヘム教会だけは常設だ。信徒は約190人といい、この日も100人近くが集った。
 約20年前に同教会が設立されたころ、信徒のまとめ役をしていたアレクサンデル・フェルディナンドさん(63)は「日曜も仕事を言いつける社長さんがいたが、私たちは『神の教えに従って休日を取ることで、病気にならず、働ける』と信じて祈った」と、当時をふり返る。
 最初のうちは、公共施設などを短時間借りて集まり、その後、漁網置き場を教会とした。2017年には現在の倉庫を借り、建設業で働く信徒たちがボランティアで内装を一新した。
 この日の礼拝には、日系人トレンディ・タノスさん(29)、元実習生セイディ・クメンドンさん(29)夫婦の姿もあった。ベビーカーには長女アサちゃん(10カ月)。「私たちは、この教会で出会いました」。アサちゃんを保育園に預け、水産加工場で共働きをしているという。
 「最近、土地を買いました。お金が貯まったら、家を建てるのが夢です」とセイディさんは微笑んだ。これからも大洗に暮らし続けたいという。「『アサ』はインドネシア語で『希望』という意味なのです」(米元文秋、写真も)

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