名物「災害広報官」死去 国家防災庁ストポさん 49歳 がん闘病中も速報発信

 国家防災庁(BNPB)の「名物広報官」で、ステージ4の肺がんと闘いながら、SNSで災害速報を発信し続けていたストポ・プルウォ・ヌグロホさんが7日、治療先の中国・広州の病院で亡くなった。49歳だった。
 科学技術応用評価庁(BPPT)の研究員を経て、2010年にBNPBの広報部長になると、連日、全国各地で起きた災害の報道対応を担当した。近年は特に、ツイッターやインスタグラムなどのSNSを使いこなし、災害発生直後の混乱時に、市民に正しい情報を発信し続けた。
 18年1月に肺がんを公表した後も、闘病と仕事を両立。ロンボク島や中部スラウェシ州で大災害が相次いだこの1年も、病床でプレスリリースを書き、自ら記者会見場に立ち続けた。中部スラウェシ地震・津波後にはその災害対応が目に留まり、ジョコウィ大統領からイスタナ(大統領宮殿)に招待されたり、国内外のメディアに取り上げられたりと一躍時の人となった。
 がんは脳や骨、他の臓器に転移しており、6月15日、治療のため広州に飛び立ったまま、帰らぬ人となった。SNSの更新は、渡航前に空港で撮影した動画が最後となり、「1カ月広州に行ってきます。災害情報を迅速に送れなかったら、ごめんなさい」とつづっていた。
 SNS上では別れを惜しむ声が相次いだ。ジョコウィ大統領は「ストポさんは、人生は長い短いでなく、どれだけ人を助けられるかだと言っていた」と振り返り、「最期まで人生を人々にささげた」としのんだ。(木村綾、写真も)

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