仮設、テント、新居で迎える 中部スラウェシ レバランの被災地 津波被災者「政府は口ばかり」
震災後初のレバラン(断食月明け大祭)を迎えた中部スラウェシ地震・津波の被災地。親族が集いにぎやかに祝った昨年とは打って変わり、多くの人が仮設住宅やテントで静かなレバランを過ごした。先の見えない避難生活を送る人がいる一方で、わずかながら新しい住居に移った人もおり、被災者の暮らしに変化が出ている。
「被災者だって、レバランを祝いたいのに」
津波で家が流されたパル市マンボロのスルタンさん(42)は7日、高台の仮設住宅でため息をついた。州北部トリトリ県の実家に帰省して家族団らんの時を過ごすのが毎年の恒例だったが、ことしは予算がなく断念。静かな仮設で、ボランティアが持ってきてくれた焼き菓子だけが、レバランを迎えたことを感じさせてくれる。
海岸にあった家は屋根の上までの高さほどの大津波にのまれた。激しい揺れで立つこともできず、スルタンさんは子どもを抱え四つんばいで逃げた。「ずっと暮らしてきた家が、たった5分でなくなった。今でも信じられない」。妻のナプシアさん(43)は遠い目をした。
スルタンさん一家は3カ月前、テントから仮設に移った。小学3年から19歳まで6人の子どもたちと、12平方メートル程の一間に8人暮らし。「家族が無事だったことだけが救い」と子どもの前では気丈に振る舞うが、「働きたいが仕事がない。毎日、明日はどうやって食べようかと考えている」。震災前は重機や車を運転し生計を立てていたが、いずれも津波で失い、くず鉄を集めて売りわずかな稼ぎを得ている。
240世帯が暮らす仮設住宅では光熱費や水道代の補助はなく、被災者で出し合う。仮設は人里離れた場所にあり、支援物資を届けてくれるボランティアも限られる。
「ラマダン(断食月)までに生活支援金を支給すると約束したのに、今の今まで何もない。政府は口ばかりだ」。町内会長を務めるスルタンさんは、住民を代表してこれまでに2回、州庁舎に出向き窮状を訴えたが、支援は得られなかった。
■「退去勧告」騒動も
行政が管理するこの仮設は約3カ月前に引き渡されたというが、5月中旬、入居者が「退去勧告」を受ける騒動が発生。建設作業員が、賃金未払いを理由に1棟12戸をテープで封鎖したという。地元メディアがこの件を取り上げた後に行政が動き、入居者は退去せずに済んだが、政府への不信は募るばかりだ。
仮設での暮らしは2年と聞かされている。「本当に2年間で全員分の家を建てられるのか」。スルタンさんは首をひねった。
■テントで「我慢」
中部スラウェシ州災害対策局によると、現在も避難生活を送る人は4県市で約17万3千人。仮設住宅に住む人が多いが、パル市内だけでも約530世帯がテントで暮らしており、仮設の増設を急いでいる。
「我慢、我慢。他に行くところもないから」
液状化で家が泥流にのまれたシギ県ジョノオゲの主婦スハルティンさん(29)は、8歳の長女や5歳の長男とテントで暮らす。「レバランなのに新しい服も着せてやれない」。寄付された古着を洗濯しながら、力なく笑った。
■新しいわが家に
わずかながら、すでに住宅を再建した人もいる。
バイク修理業のアザーンさん(34)は2週間前に完成した真新しいわが家でレバランを迎えた。シギ県ビロマルの自宅は地震で全壊。長くテントに避難していたが、妻(33)が妊娠中かつ6歳の娘がいることから、イスラム系財団の住宅再建支援対象となった。
新居はがれきと化した自宅横に建てられた。大きさは前の家の3分の1だが、「わが家ができてうれしい」と安堵の表情。今月中にも第2子が生まれ、4人家族になる。(木村綾、写真も)