EPA1期生が日本永住権取得 徳島、ワフユディンさん 「勉強重ね、起業したい」

 EPA(経済連携協定)でインドネシアから徳島県の総合社会福祉法人、健祥会グループに派遣された男性介護福祉士ワフユディンさん(37)=ランプン州出身=が日本の永住権を取得した。ワフユディンさんは「母国の発展のために、いろいろな勉強をしたい」と就労制限のない永住権を申請。教育などを勉強し、故郷で起業するのが目標だ。EPAで派遣されている外国人が永住権を取得したのは同会では初めて。 

 ワフユディンさんは、インドネシアで看護師として働き、2008年にEPAの1期生として来日した。健祥会の施設で勤務しながら、連日3~5時間の勉強を続け、3年後に難関の介護福祉士の国家資格に合格した。資格試験は、EPAの外国人向けに改定される前で、日本人と同じ内容だった。「資格が取れないと帰らなければいけない。1度のチャンスしかなかった」。合格するために必死だった。
 日本に暮らして、気付けば10年。当初は3、4年で帰国する予定だったが、「仕事が楽しく、人間関係もできていった」と生活になじんだ。「遠いとこから来てくれて、ありがとう」「お世話してくれてありがとう」と入所者から言われ、「お互いに理解し合えたようで」、充実した気持ちになった。「地域の人も声を掛けてくれて、差別がなく、自分の国のように生活ができた」という。
 居住歴10年などの条件が整い、永住権を18年に申請した。介護福祉士の在留資格では仕事が限られ3年ごとの更新が必要だが、永住権なら「介護だけに限らず、教育や食文化など、たくさんのことを学び、幅広く活躍できる」。目的は母国への貢献だ。「日本で給与をもらって家族のために使っても、自分たちだけのためになってしまう。会社を立ち上げ、周りの人の職場をつくり、自分の給与を地域に使い、形にしたい」と話す。日本で介護以外にも多くのことを学び、仕事もすることで、起業の糧にしたい考えだ。

■保証人は10年来の先生
 永住権取得に当たり、身元保証人になったのは、介護福祉士の勉強を教える西岡義弘さん(72)。EPAの1期生を教えるとともに、一緒に介護を学び、ワフユディンさんとは10年来の付き合いだ。
 「ワフユディンさんは最初から優秀で、人柄も知っているので、永住権がほしいなら、いつでも協力する考えだった」と西岡さんは振り返る。ワフユディンさんも「(保証人を)お願いするのが難しいかと思い、ちゅうちょしたが、西岡先生が『僕がなりましょうか』と言ってくれた。信頼関係がないと難しい」と感謝する。
 ワフユディンさんは現在、介護施設のリーダーを務め、外国人職員の指導役もしている。自身が訪日当初、報連相(報告・連絡・相談)や電話対応、書類作成などで苦労した経験から、親身になって、外国人職員の悩みを聞いている。

■高い定着率、管理職も
 健祥会グループでは、2008年からEPAでインドネシア人をはじめ、これまでにフィリピン人、ベトナム人も合わせて、計328人を受け入れた。このうち、約190人が現在もグループ内で働いている。介護福祉士の国家資格の合格率は74%と高く、日本人を含む全体の合格率とほぼ同じ高水準だ。
 試験の2カ月前から勉強合宿を行い、合宿中も有給にするなど、同グループのサポートが功を奏している。
 イ人の1期生7人のうち3人が同グループで管理職として働く。このうち、アリフ・バスミンさん(32)は、120人が入所する施設で、主任として介護職員50人をまとめる。日本人の合格率が20%以下のケアマネジャーの試験も1度で合格した。
 田村修司人事部長は「(EPAで来た外国人たちは)もう日本人のように職場に溶け込み、不可欠な存在になっている」と語った。(木許はるみ)

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