【続・香料諸島の旅 歴史編】① 再びハードな離島へ 絶妙な3人旅
文明の地から遠く離れた小さな島々が、世界の歴史の中でこれほど大きな役割を果たしたことは、他にあったであろうか? それは、ヨーロッパ人が渇望したナツメグ・メースがインドネシアの赤道直下に浮かぶバンダ諸島にしか採れなかったことによる。2016年に丁子の島であるテルナテ、ティドレを訪問した時には、とてもバンダまで行くのは無理かなと思っていたのだが、その帰国後に紀行記をまとめながら日々を過ごす中で、やはりバンダ抜きでは「インドネシア香料諸島紀行」は完結しないという思いが日増しに募り、2017年10月再びの離島への旅となった。
マルク諸島の拠点となるアンボンから船で6時間というかなりハードな旅程となったが、思い切って行って良かった。バンダ諸島は、ジャカルタから遥か2600キロ東のバンダ海に浮かぶ、主に七つの小さな島から成り、私どもが普段目にするインドネシア全体の地図では、ボールペンの先を落して点を付けたような火山とサンゴ礁の群島である。この島々をめぐってポルトガル人、オランダ人、イギリス人が、元々の原住民を追いやってしまうほどの激しいナツメグ争奪作戦を展開したのだ。
その島々は現在では訪れる人も少なく、南海に取り残されたように浮かぶ寂しげな辺境の地になっている。ここで繰り広げられた16~19世紀の動きと、今の静寂とのギャップが大きいことに、いやが応でも歴史のうつろいを感じさせる。島々の素朴なたたずまい、緑の木々の美しさ、澄み切った海、人々の穏やかさを思い起こすと、まるで夢のような旅であった。
バンダ諸島の歴史については日本ではほとんど知られておらず、詳しい文献もない。インドネシアの旧宗主国のオランダによる研究が一番進んでいるが、オランダ語の文献を読む能力はない。現地で手に入れた英語やインドネシア語の本から得た情報をベースにして、本紀行記の前半にまとめた。後半の「旅の記録」の参考にしていただければありがたい。
今回の旅の仲間は、2016年にも同行いただいた今城進さん、それにジャカルタから参加の駒谷邦子さんである。シニア2人に付き合っていただいた駒谷さんのおかげで、楽しく絶妙な組み合わせの3人旅となった。
■繰り広げられた争奪戦
15~18世紀にかけての「大航海時代」は、英語では「発見の時代(Age of Discovery)」と言われる。コロンブスもバスコ・ダ・ガマもマゼランも新しい土地を「発見」できたのは、香辛料を探しに航海に乗り出した結果であった。主にポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスによってヨーロッパと東インド(東南アジア諸国)間の貿易を発展させたという成果を生んだ。ヨーロッパとアジアが商業的に結び付いたのだ。その貿易取引の最も重要な商品は香辛料であった。
中でもヨーロッパ人がインドネシアの北マルク州の丁子の島、およびその南のマルク州に属するナツメグのバンダ諸島と直接取引できるようになってから、地元住民を巻き込み、ヨーロッパ勢の熾烈(しれつ)な香料争奪戦が繰り広げられた。(「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」=宮崎衛夫著=より)
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今回から「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」を連載する。元本は歴史編と旅編に分かれており、まず歴史編を、続いて旅編をお届けする。