次世代の基礎をつくる 西府正剛社長 パナソニック・ゴーベル・インドネシア(PGI)

 個人消費が伸び悩み、厳しい状況の続くインドネシアの家電業界。日の丸ブランドの先駆けパナソニック・ゴーベル・インドネシア(PGI)を取り巻く環境も厳しさを増している。2月にPGI社長に就任した西府正剛さん(58)に聞いた。

■初出張はジャカルタ
 「入社して最初の海外出張はジャカルタでした。この国へ赴任となったのは、何かめぐり合わせのようなものがあるのかもしれません」。インドネシアへの赴任が決まった時の感想を聞くと西府さんはそうほほ笑んだ。海外で仕事をしたいという夢を持って松下電器産業(現パナソニック)に入社、シンガポール、台湾、香港、中国と約20年間を海外勤務で過ごした。「上海で3年、業績も上向き、これからじっくり腰を据えて、経営と販売の基盤を作り上げていこう」と考えていた矢先だったという。

■負の歯車を止める
 「家電業界は不況と聞いていたがPGIも予想以上に厳しい」と西府さん。「ここ数年続く不況に、必死でいろいろな手を打ったのだと思うが、俯瞰(ふかん)してみるとその時その時でバラバラ、効果が出ていない」と語る。
 業績が悪いとレポートや報告に時間を奪われ、店舗に行く時間がなくなる。焦りから短視眼的手法に走り、結果的に顧客の信頼を失うなど、負のサイクルに陥ってしまう。再建に向けてまず負の歯車を止める。「こう言うと叱られるかもしれないが、素直に市場を見て自社の実力を見、無理な売り上げは追わない。活力を失った社員が小さくても達成感を積み重ね自信を取り戻すようにする」。「創業100周年のことし、PGIは原点に戻る。基盤を固め事業環境の変化に対応できる体力をつけ、19年からの中期経営計画で成長軌道を描けるように備える段階」ときっぱり。

■最後の選択をしない
 2008年、40代で台湾の販売会社のトップに就任した西府さん。そこにリーマンショックが襲う。土日昼夜を問わず働き、手を尽くすがリストラせざる終えない状況に。「組織の前に人を作る」「人は財産」。終戦後の厳しい時でさえ踏ん張った会社なのに、業績を悪化させリストラしなければならない状況を招いた自分の力不足に悩んだ。罵られ殴られることも覚悟して参加した退職者の送別会では、逆に感謝と慰めの言葉を受けた。それに泣かされ、逆の覚悟をした自分を恥じたが、それ以上に、「社員を不安にさせ人生を変える結果となったことは、いかなる理由があってもトップの責任。リストラは最後の最後の選択」と、今後繰り返さないために努力していくことを誓う。

■次世代の基盤づくり
 「その国その国で、ブランドを輝かせ、スタッフを輝かせる。それができれば業績はおのずとついてくる」と西府さんは確信する。
 「自分がいる間に果実の刈り取りはできなくとも、次の世代が刈り取れるための基盤を固める」。それが、今までのキャリアとこの歳でここに来た自分に託されたミッション。西府さんは、はっきりとした口調で覚悟とも取れる言葉を語った。(太田勉、写真も)

 さいふ・せいごう
 84年松下電器産業入社、90年シンガポール・アジア松下電器出向。95年松下電器アジア大洋州本部課長就任、02年より台湾松下電器・パナソニックマーケティング販売台湾社副総経理、08年に総経理に就任。09年よりパナソニック中国・北東アジア本部総括部長、12年パナソニック香港社長、15年パナソニック・チャイナ・アプライアンス中国社副総経理を経て、18年2月より現職。

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