日イをつなげて30年 橋谷奨学会が同窓会 622人に計5億円超支給

 日本で学ぶインドネシア人留学生に特化した奨学金支給活動を行っている橋谷奨学会が設立から三十年を迎え、初となる記念同窓会を四日、中央ジャカルタのホテル・プルマン・ジャカルタで開いた。同奨学会は、日本占領下の一九四二―四五年に南洋拓殖社から中部セレベス(現・中部スラウェシ州)ポソに派遣された経験がある月島食品工業の創業者、橋谷亮助氏(一九九三年に死去)が一九八一年に設立。インドネシア人のみを対象にした貴重な奨学金プログラムとして、これまでに延べ六百六十二人(二〇一一年度末まで)に奨学金を支給。同窓生は三百十九人(同)に上り、総支給額は五億八百二万円(同)となった。

 四日の式典には、在インドネシア日本大使館の下川眞樹太公使、元駐日インドネシア大使のプジ・クンタルソ氏、式典の準備などに奔走した後援のインドネシア元日本留学生協会(プルサダ)のイスマジ・ハディスマルト第一副会長、日本から訪問した同奨学会の戸田信之理事長(月島食品工業社長)、塩谷隆則常務理事(同社常務取締役)、同社の康淑君・海外事業室室長代理、事務局でインドネシア人留学生の世話役を務めてきた小林時子さんが出席。同会の奨学金の支給を受けた元留学生約三十人のほか、関係者ら約八十人が集まり、両国をつなぐ懸け橋として、活動を続けてきた同奨学会の三十周年を祝福した。
 会の冒頭で、八〇年代初めに同会の奨学金の支給を受けて日本で学び、現在はパナソニック・マニュファクチャリング・インドネシア社の副社長を務めるヘル・サントソさんが「きょうの会では、昔の思い出をみんなで分かち合うとともに、一番大事な人的交流を進め、これを機会に新たな関係を築いてほしい」とあいさつ。戸田理事長は「今後も日本とインドネシアの懸け橋として大いに活躍してほしい」と元留学生たちを激励した。
 昼食を挟み、元日本留学生たちが設立したダルマ・プルサダ大学の合唱部が日イの曲を披露したほか、八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代の元留学生代表が壇上に立ち、奨学金支給に感謝の意を示した。

■ 年間2000万円を支給
 故・橋谷氏は四四年三月にポソ湖畔に農業実務学校を設立し、現地の十五歳前後の青少年を対象に稲作指導を実施。終戦のため、学校は四五年八月に閉鎖となったが、当時、一生懸命に学ぶインドネシア人の若者の真摯な目つきが忘れられなかったという。
 その後、日本に戻った橋谷氏はポソ時代の友人らと四八年に月島食品工業を創立。経営が安定した八一年に自身が保有する株と私財を基金に財団法人として、橋谷奨学会を設立した。
 初年度の八二年度は十三人に月五万円を支給。その後、堅調に活動を続け、現在は十七人に月十万円を支給するペースで奨学金事業を行っている。事務局の運営費用などは月島食品が負担。毎年、計二千万円近くとなる奨学金も、奨学会が保有する同社の株式一〇・五%の配当金と同社の寄付などが原資で、塩谷常務は「三十年間、配当を出し続けることができており、安定した経営が奨学事業の継続にもつながる」と説明した。
 同社は「企業の資本は社員が持ち、従業員は従業員であると同時に資本の持ち主でもある」という理念の下、従業員持株会が四一%の株式を保有。日本では、業務用マーガリンで一五%、業務用チョコレートで一七%のシェアを獲得しており、今後、「奨学金事業だけでなく、月島の仕事を通じてインドネシアに貢献できないかと真剣に考えている」(戸田社長)として、インドネシアでの事業展開も模索していく方針だ。

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