事業の傍ら書道指導も 「習字の手本 形見に」 松葉さん夫妻の友人ら

 バリ島南部バドゥン県ジンバランにある自宅で遺体で見つかった松葉紀男さん、博子さん夫妻は2013年からバリで生活を始めるまで、西ジャワ州バンドン市内に住んでいた。当時付き合いのあった知人らによると、夫婦で助け合いながら野菜やこんにゃくいも栽培、マグロ関係の事業に携わる一方、日本語を学ぶインドネシア人学生や日本人女性、子どもたちに書道を教える先生でもあった。
 バンドンで紀男さんから習字を習っていたという松村和代さんによると、紀男さんの習字教室は同市のインドネシア教育大(UPI)日本語学科の学生や高校生、バンドン日本人学校(BJS)、同市在住の日本人女性らが対象だった。
 博子さんの手料理をごちそうになることも多く、日本料理の作り方を教わることもあったという。
 松村さんは「松葉先生はインドネシア人、日本人にかかわらず、誰にでも分け隔てなく接する楽しい人。教え子の成長をいつも楽しみにしながら、日本の礼儀を教えることも大切にしていた」と記憶をたどりながら、「なぜ亡くならなければならなかったのか。インドネシアにも貢献していた人なのに……。書いてもらった習字のお手本は形見です」と涙ながらに語った。
 和代さんの夫、圭二さん(60)も松葉夫妻の友人で、夫妻がバリへ引っ越した後も交友関係は続き、遺体の見つかったジンバランの家を和代さんと一緒に訪ねることもあった。
 圭二さんは「紀男さんは江戸っ子気質でお酒が大好きな、面白い人だった。インドネシアでビジネスをする中で、苦渋苦杯をなめながら頑張ってきた本当に立派な人。奥さんの支えもとても大きかったと思う」と振り返った。
 紀男さんは移り住んだバリでも習字を教えていた。ことし6月まで松葉夫妻宅の向かいに住んでいた山根聡子さん(43)によると、夫妻宅では小〜中学生向けの習字教室が週1回、開かれており、日本人同士がつながる場所になっていた。夫妻宅で食事をとりながら、和気あいあいと交流することもあったという。
 引っ越しのため6月にバリを離れた山根さんは「海外に住んでいて日本的なことを忘れがちな中、人生の先輩のような人だった。子どもたちにも日本の礼儀などをきちんと教えてくれていた」と夫妻をしのんだ。(毛利春香) 

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