【帰ってきた看護師たち】(下) 技術伝達に日本語力 製造現場にも活躍の場

 パナソニックの現地製造法人パナソニック・マニュファクチャリング・インドネシア(PMI)社(東ジャカルタ)でポンプの開発・製造を指揮するテクニカル・アドバイザーの西本伸広さんは昨年末、セアティア・エスティアリニさん(二七)への面接を行った。面接で技術分野の日本語の本を渡すと、十分に読むことができた。「役に立つ」。西本さんはその場で確信した。
 西本さんら日本の技術者は普段、英語でコミュニケーションをしているが、「パナソニックの精神を確立するためには英語だけでは難しい。インドネシア語と日本語、お互いの母語で伝え合うことで、パナソニックが培ってきた考え方と技術を伝えることができる」と西本さん。看護師候補として日本に送られた彼女たちは、日本語ができるだけでなく、医療の厳しい現場で三年間、経験を積んだこともあり、文化的な背景を理解しながら、細かいニュアンスを伝えることができる。現在セアティアさんは西本さんとインドネシア人技術者の橋渡し役を務めている。
 パナソニックで現在働いている元看護師候補者はセアティアさんとルフル・プジャンティさん(二九)の二人。ルフルさんは従業員用のクリニックで日本人看護師ボランティアのサポートなどを行ってきた。増産が進む日系企業では従業員の健康管理も重要性を増しており、企業内クリニックにも活躍の場があるという。
 セアティアさんとルフルさんはともに、二〇〇八年に日本へ渡り、「ぶどうが一番有名で、周りが静かな田舎だった」という長野県塩尻市の病院で働いた。「同僚は家族みたいに接してくれて、とにかく楽しかった」と振り返る二人。国家試験の合格に向け、病院から全面的な支援を受けたが、最終年も二人は不合格。滞在を一年延長することも可能だったが、二人とも結婚相手がおり、昨年、帰国を選択した。「もし合格していたら旦那さんを日本に連れて来たかった」と二人は声をそろえる。
 帰国後は、インドネシアの看護師資格と日本での経験を生かして日本人患者も訪れる国際病院で勤務することが第一志望だったが、条件が合わず。インドネシア日本友好協会(PPIJ)事務局長として看護師候補者と交流していたヘル・サントソ衛藤PMI副社長と、昨年十月に駐インドネシア日本大使公邸で開かれた慰労会で再会。病院以外で働くことは全然考えていなかったが、「日本での経験を生かせる」と新しい業種への挑戦を決めた。
 日系二世として、両国の懸け橋となるべくさまざまな活動を展開するヘルさんは「『帰ってきた看護師はこんなことができるのか、もっと採用すればいいじゃないか』とほかの会社から思われるような一つのモデルにしたい」と意気込む。
 「日本で働くインドネシア人看護師は皆好かれていて評判がいいが、試験のハードルが高くて帰国を余儀なくされている。日本は今後、どうしても看護師や介護士が必要となる。世界一の親日国といわれるインドネシアと日本が、二〇〇八年の国交樹立五十周年後の新たな五十年の出発点としても、この派遣事業を軌道に乗せていくべき」とヘルさんは訴えた。

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