佐藤が完全復活 戦った日本選手たち BCAオープン

 計5試合の日本人対決があったことしのBCAインドネシア・オープン。大会出場6回目で優勝を決め、けがに泣いた一時期から完全復活を印象付けた佐藤冴香(ヨネックス)を追った。 

 佐藤は、世界バドミントン連盟(BWF)がインドネシア・オープンを、世界選手権、オリンピックに次ぐ世界最高クラスの大会「スーパーシリーズ・プレミア」に格上げする前の2009年に初出場し8強に進出。翌10年には準優勝を果たした。
 17日の準決勝では、同世代のニッチャオン・ジンダポル(タイ)と対戦。3ゲーム目の途中、ニッチャオンが左脚をつり試合が一時中断。調子を落とした相手を21―14と引き離し、決勝進出を決めた。
 試合後、「相手のけががなかったら負ける可能性は大いにあった」と話す佐藤。自身も負傷で途中棄権をした苦い思い出がある。日本代表として初出場した、12年のロンドン五輪の決勝トーナメント初戦、後に前十字靱帯と内側側副靱帯の損傷と診断される左膝のけがで涙ながらに大会を去った。
 その後、約1年におよぶリハビリを終え、試合に復帰。14年に韓国オープン準優勝、スコットランド・オープン優勝とスーパーシリーズより下位クラスの大会で成績を残し、同年の全日本社会人選手権で優勝。15年は韓国マスターズなど2大会で優勝、全日本選手権で準優勝を収めた。16年には同大会で山口茜(再春館製薬所)を下し、出場8回目で初優勝を果たした。
 佐藤は「リハビリ中、他の選手がスーパーシリーズで活躍するのを見てすごく悔しい思いをした。自分もまたあの舞台に立ってもう一回てっぺんを目指したいという思いがあったのでリハビリも頑張ることができた」と振り返る。決勝まで上り詰めることができたのは、「東京五輪に絶対に出場するんだという気持ちがあった」と語った。(中島昭浩、写真も) 

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