暴動犠牲者を追悼 5月暴動 ハビビ元大統領ら200人
国家女性委員会は8日、東ジャカルタのポンドック・ランゴン共同墓地で、1998年5月に起きた暴動で亡くなった犠牲者を追悼するとともに女性の保護を訴える式典を開いた。
式典は、事件を風化させないよう2015年に建てられた記念碑を囲む形で作られた会場で行われた。事件直後に当時のスハルト大統領の辞任によって副大統領から大統領に昇格したハビビ氏やジャカルタ特別州のジャロット副知事、遺族ら約200人が出席した。
式典でジャロット氏は「5月暴動は二度と繰り返してはいけない。今こそ統一インドネシア共和国(NKRI)としてみんなで力を合わせ、この国を守ろう」と話すと遺族らは大きくうなずきながら拍手をしていた。ハビビ氏は「旦那さんは奥さんに優しく。子どもはまねしますよ」と会場を笑わせながら、「女性は次の世代へつなぐ大切な存在」と話した。
暴動事件で息子が撃たれて亡くなったというスマルシさんは、5月暴動の関係者への正しい処罰をハビビ氏からジョコウィ大統領へと伝えるよう訴えた。1998年当時7歳だったというサイダ・フィトゥリさん(26)は「暴動で知り合いが亡くなった。関係者などにはしっかりとした制裁を下してほしい。そして暴動の原因などを明らかにしてほしい」と目を熱くして語った。
5月暴動はスハルト独裁政権末期、トリサクティ大学生が射殺された直後の13〜15日、全国各地で発生。ジャカルタだけで千人以上が死亡し、ショッピングモールや高級住宅街などが襲撃、放火された。
170人以上の女性が性的暴行などの被害を受け、20人が死亡したといわれている。(上村夏美、写真も)