2度目のお務め 本清公使に聞く

 在インドネシア日本大使館で次席の役職を担う本清耕造公使(52)は2003年から05年までインドネシアに赴任し、参事官としてスマトラ沖地震・津波の復興作業に携わった経歴を持つ。当時を振り返りつつ今後の抱負について話を聞いた。

 本清さんの専門語はスペイン語。03年に初めてのインドネシア赴任が決まった際には、来イする前にインドネシア語だけでなく、ジャワ語も学んだ。その後日本語弁論大会の審査委員長や留学生との面接などを通じインドネシアの理解を深めた。
 当時は03年の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議、05年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念会議で、小泉元首相が立て続けに来イするなど、外交上重要な会議がインドネシアで多く開催された時期だった。
 また、04年にはインドネシアで世間の注目を集めた北朝鮮の拉致被害者、曽我ひとみさんと夫のジェンキンスさんの再会を調整。200人以上の報道関係者が詰めかけ、「毎日が記者会見だった」と多忙な日々を振り返る。
 さらに同年12月に発生したスマトラ沖地震・津波では、「モスク以外はほとんどの建物が押し流されていた」現場に足を運び、緊急援助隊の受け入れや支援物資の引き渡し業務に努めた。現場の指揮はインドネシア語で行った。
 13年からは大臣官房会計課長として、外務省の予算を管理・執行する職務を担当。政府開発援助(ODA)案件の採用や新規事業への予算の割り振りを行う、外務省の中でも多忙なポスト。「アチェの津波や(03年にマリオット・ホテルで発生した)爆弾テロ事件などインドネシアでの実体験が、財務省と新規案件の予算交渉をするうえで非常に役に立った」と語る。
 これまでスペイン語圏に約7年間在勤した。専門以外の特定国へ2度赴任することは外務省では珍しく、「今ではどちらの国が自分に合っているのか分からなくなってきました」と笑みを浮かべる。
 2度目の赴任について、「アチェの災害復興など自分の経験を踏まえて再度インドネシアに携わることができるのは、外交官として幸せなこと。大使館として『邦人の安全確保』を最重要に考え、18年の日イ国交樹立60周年に向けて何ができるかを考えることが今後の課題の一つです」と語った。(佐藤拓也、写真も)

【プロフィル】 本清耕造(ほんせい・こうぞう)
1964年生まれ、東京都出身。86年青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒、外務省入省。2003年2月、在インドネシア日本国大使館一等書記官、04年1月同参事官、その後国際協力局国別開発協力第一課長、国際協力局開発協力総括課長、大臣官房会計課長などを歴任。15年9月から在インドネシア日本国大使館公使。妻はスペイン人。家系は柔道一家。趣味は音楽と読書。

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