祖母のパン屋80年 戦前は日本兵も常連 ジャカルタ最古参 メゾン・ウェイナー

 中央ジャカルタのクラマット通りにあるベーカリー「Maison Weiner(メゾン・ウェイナー)」。1936年に「BENGKEL KOEWE WEINER」の名で、現在の店主ヘル・ラクサナさん(62)の祖母、故リー・リアン・メイさんが始めた。戦前は日本軍の憲兵らが常連客になるなどにぎわい、戦後も最古参のベーカリーとして本格的な西洋の味を市民に伝えてきた。いまは客足が減り閉店も考えているというヘルさんに、祖母メイさんの回顧話を聞いた。

 当時、オランダ植民地下にあったインドネシア。メイさんはジャカルタでオランダ人が開いたベーカリー店で働きながら、ケーキやクッキーの作り方を学んだ。「ジャカルタにはベーカリーがないし、自分の店を開いてみたら?」と同僚から言われ、店を持つことを決めたという。
 現在のガンビル周辺でオランダ人が年に1回、開いていたイベントに毎年足を運び、欧米から輸入されるベーカリーの機材を少しずつ買い集めた。当時は大通りとしてにぎわっていたクラマット通りにあったコロニアル調の家を、オランダ人から購入。ジャカルタで初めて、ケーキやクッキーを販売する唯一の店としてオープンした。

■軍トラックで配達も
 42年から日本軍政下に入ると、憲兵らがよく訪れるようになった。料理が大好きだったメイさんは、ビールを持ち込んだ日本兵らにさまざまな料理を振る舞った。住民にとっては冷酷な印象が強かった日本兵だが、メイさんは「とても礼儀正しくてフレンドリーだった」といつも話していた。
 ウエディングケーキの注文を受けた日、届け先のパサール・バルまで運ぶ手段がなかった。困っていた矢先、近くに止まっていた軍トラックの運転手に「届けるすべがない。トラックに乗せてくれませんか」と頼むと、快く引き受けてくれた。

■受け継がれたレシピ
 「アヒルの卵50個、砂糖1.5キログラム、小麦粉……」。メイさんは数えきれないほどのレシピを残した。卵や小麦、砂糖を使ったスポンジケーキを見てカステラだと喜ぶ日本人が多かったという。今でもメイさんのレシピが基本となっている。
 70年ごろから本格的にパンの販売を開始したが、ジャカルタでは90年代末から、新しいベーカリーが次々とオープン。店舗の作りがモダンでパンの種類が多様化。モールやカフェでもおいしいパンが購入できるようになり、店にまでわざわざ買いに来る客足が減り、売り上げも落ち込んだ。

■後継者なく「閉店も」
 孫のヘルさんはドイツや米国でケーキのデコレーションやベーカリーについて学び、マイスターの資格も持つ。現在は店の経営よりも、新たな技術や製法をインドネシアで伝えることに力を入れる。店の後継者は見つかっていない。 
 「私ももう年老いた。この店を新しく一緒に立て直してくれるような職人はなかなかいない。閉店することになるかもしれない」とヘルさんは遠くを見つめた。(毛利春香)(写真はいずれも提供)

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