インドネシアに核兵器 毛沢東主席が要請 1965年9月30日に 中国外交文書で判明

 1965年9月30日、中国の毛沢東・共産党主席と劉少奇・国家主席(いずれも当時)が北京で、インドネシア国民協議会(MPR)のハイルル・サレ議長ら代表団と会い、毛主席はインドネシアが核兵器を製造・保有するよう求め、実現のためにインドネシアを「無条件に支援する」と述べていることが、公開された中国外交文書で明らかになった。発言の数時間後にインドネシアでクーデター未遂事件(9.30事件)が発生し、実際に核技術が輸出されることはなかったが、実現していれば世界のパワーバランスが一変したことは間違いなく、外交研究者は衝撃を受けている。

 外交文書は23日、9.30事件の研究論文をまとめて発刊された「9.30事件とアジア」(倉沢愛子編集、コンパス社)の中で、中国人研究者のタオモ・チョウ氏(現在はシンガポールの南洋理工大学博士研究員)が存在を明らかにした。
 中国は64年10月、初めて核実験を行い、米国、ソ連(当時)、英国、フランスに次ぎ、アジアで初の核保有国となった。毛主席の発言は、事実上、米ソの独占状態にあった核兵器を中国だけでなく、アジアのほかの国が保有することで、米ソに対抗する狙いがあったものとみられる。
 インドネシアから訪問したのはハイルル議長ほか、インドネシア国民党(PNI)のアリ・サストロアミジョヨ党首らで、10月1日に行われる中国の国慶節の式典に招待されていた。代表団と毛、劉両主席という中国の最高指導者との会合のかなりの部分が核問題に充てられた。

毛主席 さて、世界は今、平和的とは言えない状況だ。だから私たちは軍事力を必要としているし、原子爆弾も必要だ。あなた方は原子爆弾を製造したいのですか。
ハイルル議長 もちろんですとも。
毛主席 あなた方は作るべきです。
ハイルル議長 私たちは、核兵器はごく一部の大国だけが保有すべきだ、という考え方には反対です。
毛主席 その通り。世界の二つの大国が核兵器を独占しようとしている。だが、そんなことは許されない。私たちは自分たちの核兵器を作ることができる。
(中略)
毛主席 ……あなた方は原爆製造のための原材料を見つけなければなりません。お国にはありますか。
ハイルル議長 あると信じています。
毛主席 鉄鉱石や炭鉱はありますか。お国の資源はわが国より豊かですから。お国には石油と天然ゴム、どちらも世界には稀なものですが、それがたっぷりとある。 
ハイルル議長 その通りです。ですので、我々は経済代表団を中国に送りました。それは中国から学ぶことと、二国間の友好関係をさらに育むためです。鉄鋼産業の開発はインドネシアにとって最も重要な使命です。……この面ではできるだけ早く進めなければなりません。もし、中国が援助してくれるなら。
毛主席 これは全くもって実行可能だ。私たちはあなた方を無条件に支援する。

 チョウ氏は毛主席の「無条件に支援」が、「鉄鋼産業」だけに絞ったものなのか、「核兵器支援」も含めた広い意味でのことなのかは不明、としている。しかし、この会合の9日前の9月21日、インドネシア経済代表団が中国を訪問し、その中には軍将校や科学者らで構成する「核エネルギー班」がいたことも明らかにしている。「核エネルギー班」は清華大学の核実験炉や北京大学の核物理研究所などを訪れ、各地の科学者と議論を交わした。さらに「核エネルギー班」のメンバーだった元国家原子力庁長官、ジャリ・アヒムサ氏によると、「核エネルギー班」はこの訪問で中国からプルトニウムを持ち帰る予定で、このことはスカルノ大統領(当時)と中国指導者との間の取引の一部だったとしている。
 周恩来首相(当時)は9月22日に代表団と会い、「……(核に関する)広い分野での協力は両国トップ同士の決断が必要だ。党と政府が決断したら、私は第2回アジアアフリカ(AA)会議でスカルノ大統領と話をする」と話している。AA会議は同年、アルジェリアで開催の予定だったが、アルジェリアで政変が起きたため開催されなかった。
 チョウ氏の論文「中国と9.30事件」によると、9.30事件は国家の検閲対象になっており、事件関連の資料は閲覧が制限されている。しかし、2008年11月、61年から65年までに作成された外交文書が初めて公開された。トップレベルの中国指導者の議事録から在外中国大使館と外務省がやりとりした電文まであらゆる段階のものが含まれていた。
 インドネシア関連文書は約250文書、2000ページに及んだ。しかし、13年にこれらの文書は再び非公開となった。
 チョウ氏の論文は昨年9月、南ジャカルタの国立インドネシア科学院(LIPI)で開かれたシンポジウム「インドネシアの世界との関係 事件から50年経った日本の研究」で、日本の研究者とともに、チョウ氏が英語で発表、今回の書籍化でインドネシア語に翻訳された。
 「9.30事件とアジア」の編集・執筆にあたり、インドネシア政治史に詳しい慶応大学の倉沢愛子名誉教授は「これまで全く知られていない事実で、驚いている。9.30事件の直前に『核兵器』の話をしているということは、中国が事件が起きることを知っていたはずがない。ほかにも、この論文には新事実が多くあり、インドネシア研究では画期的なことだ」と話している。(田嶌徳弘)

9.30事件 スカルノ政権時の1965年9月30日深夜から未明にかけ、大統領親衛隊のウントゥン中佐らがヤニ陸軍参謀長兼陸相ら6人の高級将校を殺害したクーデター未遂事件。スハルト陸軍戦略予備司令官によって1日で鎮圧された。陸軍は共産党(PKI)がクーデターを主導したとし、PKI支持者とみなした50万〜数百万人の虐殺を指揮したとされる。事件後、スカルノ氏が失脚しスハルト氏が大統領に就任。米国の支援を受けたスハルト氏によるカウンター・クーデターとの見方がある。インドネシアは「容共」から「反共」国家へかじを切り、東西冷戦下のアジア政治地図が塗り替えられた。

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