【古都ソロで起きたこと】(中) 王宮から姿消えた仲間 ―― 9.30事件 50年 ムリヤディさん(72)の場合
ソロには今も王族がおり、王宮もある。1965年に「9.30事件」が起きた後、王宮内にある多くの施設が共産党員や共産党支持者と疑われた人たちの収容所として使われていた。
当時ソロのあるジャワ島中部はインドネシア共産党の運動が活発で、労働者や農民の集会や抗議デモがよくあった。国軍は精鋭部隊を送り込んで共産党関係者の掃討を進め、市民にも密告や粛清を奨励した。
小学校の教師だったムリヤディさんも教師仲間と共に突然呼び出された。共産党とは関係ないのに党員と疑われ、65年10月からいくつもの収容所を転々と移動させられた。拘束は32カ月に及んだ。釈放されソロの自宅に戻ってからも身分証明書(KTP)には「元政治犯(ET)」と書かれ、公職に就くことはできなかった。
王宮内にあるサソノムリヨという集会所は当時は屋根が雨漏りし、雨の日はずぶ濡れになり、多くの仲間が体調を崩し、中には死んでいった人もいた。
多いときには2千人以上の男性がいたが、夕方トラックが到着すると話し声が止まり、空気が凍る感じがした。何人かがトラックに乗せられ、どこかに連行されて行った。尋問された後に深夜に帰って来る人もいたが、そのまま帰って来なかった仲間もたくさんいた。
今はきれいに整備されのんびりした雰囲気が漂うサソノムリヨだが、ここに来るとムリヤディさんは50年前に消されてしまった罪もない仲間たちのことを鮮明に思い出すという。(紀行作家・小松邦康、写真も)