【古都ソロで起きたこと】(上) ―― 9.30事件 50年 罪状分からず獄中15年 ブロントさん(87)の場合

 半世紀前の1965年9月30日にインドネシアで発生したクーデター未遂事件「9.30事件」をきっかけに、各地で黒幕とされた共産党員や事件の関係者として疑われた住民らが虐殺された。その「赤狩り」の犠牲者は50万人から300万人に上り、東南アジア最大の住民虐殺事件とも言われている。
 日本で昨年公開され、加害者本人による殺人シーンの再現が話題になった映画「アクト・オブ・キリング」や続編の「ルック・オブ・サイレンス」(いずれもジョシュア・オッペンハイマー監督)などでも「インドネシアの負の歴史」の真相が明らかになってきた。
 このほど中部ジャワの古都ソロ(スラカルタ)を訪れ、事件の犠牲者に話を聞いた。

 ソロで生まれたブロントさんは第二次世界大戦中の日本占領時代、インドネシア独立を目指す抗日ゲリラだった。日本の降伏後はインドネシア国軍に入隊、後の大統領スハルトが指揮する正規軍の兵士としてオランダやイギリスとの独立戦争に参加した。その戦いに勝ち、独立戦争の英雄となってからもスハルト傘下の陸軍兵士として、国防の任務に就いていた。
 ところが「9.30事件」から1カ月たった65年11月1日に呼び出され、そのまま投獄された。80年に釈放されるまで15年間の獄中生活を送る。罪状も分からず、裁判もなかった。理由はいまだに分からない。
 中部ジャワのアンバラワ刑務所では、朝食がトウモロコシの粉2さじなど、食事を少ししか与えられなかった。多くの仲間が餓死したが、ブロントさんの元には毎月ソロから妻が訪れ、コメなどの差し入れがあったため、生き延びることができた。
 釈放されても国軍に戻ることはかなわず、夜警として働くしかなかった。妻が開いていた屋台の売り上げで6人の子を育てた。
 ブロントさんは人権団体を通じて、なぜ15年間も投獄されていたのか究明を訴えて続けている。しかし、これまで政府からの返答はなく補償もない。軍の精鋭だったことをしのばせる眼光の鋭さは残っているが、ブロントさんの体は日々衰えている。(紀行作家・小松邦康、写真も)

社会 の最新記事

関連記事

本日の紙面

JJC

人気連載

天皇皇后両陛下インドネシアご訪問NEW

ぶらり  インドネシアNEW

有料版PDFNEW

「探訪」

トップ インタビュー

モナスにそよぐ風

今日は心の日曜日

インドネシア人記者の目

HALO-HALOフィリピン

別刷り特集

忘れ得ぬ人々

スナン・スナン

お知らせ

JJC理事会

修郎先生の事件簿

これで納得税務相談

不思議インドネシア

おすすめ観光情報

為替経済Weekly