「生きた証し残したい」 元残留日本兵の写真集、発売 長さんが撮影、110人の晩年の素顔

 「日本とインドネシアの礎となった人たちを忘れてはいけない」。第二次大戦で日本が敗戦後、インドネシアの地に残り、独立のために戦った「元残留日本兵」の晩年の姿を追った写真集「インドネシア残留元日本兵」(社会評論社発行)が10日、日本で発売される。著者はジャカルタ日本人学校(JJS)、スラバヤ日本人学校(SJS)で教師を務めた、写真家で作家の長洋弘さん(68)。インドネシア全域に散った元残留日本兵を訪ね歩いた30年間の取材の集大成。登場する110人の写真からは、「忘れられた」日イ関係の一面が浮かび上がってくる。

 「インドネシア残留元日本兵」には、長洋弘さんが取材した約200人の元残留日本兵、軍属、一般邦人などの中から110人が登場する。本人の晩年の写真に加え、遺族、家族らから入手した戦中や日本での写真なども交え、元残留日本兵各人の半生が分かる構成となっている。
 本の企画は、2014年8月、最後の元残留日本兵の小野盛(おの・さかり)さん(享年95、東ジャワ州マラン在住)の死がきっかけだった。「小野さんの死で、今後、残留元日本兵の存在が埋もれてしまうという思いがあった」と長さん。 
 元残留日本兵の取材は1984年に始まった。当時JJSで美術教師をしていた長さんは、乗っていた車が故障したため近所の修理工場を訪ねた。そこの社長が元残留日本兵だと知り、その存在に興味を持った。
 取材はジャカルタ特別州内から始め、休みにはスマトラ島などインドネシア各地に出向いた。その際、仲介の労を取ってくれたのが、故・乙戸昇(おつと・のぼる)さん(2000年死去)ら元残留日本兵の相互扶助組織「福祉友の会」の創立メンバーだった。
 「『あの頃のことは思い出したくない』、『戦争を体験してないお前に何が分かる』と会ってくれない人が多かった。何回も足を運んでようやく写真を撮らせてもらえた」と振り返る。85年に帰国してからも年に数回インドネシアを訪れ、取材を続けた。
 福祉友の会の調査(帰らなかった日本兵―千名の声)によると、インドネシア独立戦争(1943年8月〜49年12月)に参加した日本兵は903人。246人が独立戦争で死亡、288人が行方不明。生存者は324人、45人が帰国した。「独立戦争で戦ったという気持ちの一方で、逃亡兵という汚名もどこかで抱えて生きている、と感じることが多かった」と長さんは話す。
 1958年、日イ国交樹立に伴い、日系企業の進出が加速した。イ現地の足掛かりとして元残留日本兵は、通訳や仕事の案内役として重宝された。63年大統領令で元残留日本兵にインドネシア国籍が認められた。また申請すれば、独立戦争参加の功績として「英雄勲章」が与えられた。取材に行った先で現地の人に「オラン ビンタン(勲章が星形をしているため)ジャパン」(英雄勲章を持っている日本人を知らないか)と聞くと、すぐ教えてくれたという。
 元残留日本兵の晩年はさまざまだった。経済的に恵まれた者は少なく、多くは貧しさの中で最期を迎えた。取材の中で「『生きた証しがほしい。このままでは死ねない』とよく言われました」。終戦から70年、元残留日本兵の存在は「今こうして、日本人がインドネシアで仕事ができていることの礎ではないか」と長さんは思っている。
 写真集はA5版224ページ、2484円(税込)。同書を元にした写真展が12月東京・銀座の「ニコンサロン」で開かれる。また中・高校生から一般向けの講演活動も行っている。(阿部敬一)

◇ 【プロフィル】 ちょう・ようひろ 1947年埼玉県生まれ。中学校教師を経て82〜85年ジャカルタ日本人学校(JJS)に赴任。94年「帰らなかった日本兵」(朝日新聞社)を出版、同作で95年林忠彦賞受賞。2011〜12年スラバヤ日本人学校(SJS)校長を務める。主な著作に「インドネシア残留元日本兵を訪ねて」「バパ・バリ」(いずれも社会評論社)、「二つの祖国に生きる」(草の根出版会)など。7月、戦前バリで活躍した日本人、三浦襄さんをモデルにした小説「バリに死す」(燦葉出版社)を出版。

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